年齢と意欲

もう私も70代です。

ブログでは偉そうなことを書いていますが、聖人君子でもなく、結構いい加減なおじさんです。書く時だけは真面目になりますが、これは致し方ない。

当パソコン教室に来られる方は、年配の方が殆ど。

中には90歳近い方もおられる。普段は二階の教室で教えていますが、その方だけは足や体が悪いので、一階の居間で教えています。
歩くのも大変なので、体を支えながら靴を脱いだり、抱えながら居間に上がってもらいます。
Wordを学ぶと言っても、簡単な一つぐらいの機能だけなんですが、たったそれだけでものすごく感激されておられる。そして、感謝される。
どうしても、手紙を書きたいという一心で習いに来られているんですね。
ちょっとしたことを学んでも、その人にとっては、ものすごく大きな収穫なんです。
教える私としても喜んでいただいたら、それで十分。評価とかは一切不要。これが最高かな。
その方は、昔は府庁の偉いさんだったそうな。今となっては、関係ないですね。本人も私も。

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聖書と人の言葉


言葉で世界を捉えます。

どうして、人は言葉を語るのか、その答えは聖書にあった。

天地創造以前、「わたし」が生まれた時、闇しかなかった。だから、闇に属した。
これは、避けられない。
「わたし」は、まだ、言葉(命)を持っていなかった。だから、何も知らなかった。
水の面を神の霊が動いていたが、知る余地もなかった。闇しかなかった。
すべては、ここから始まった。

後は、光によって、付け加えて与えられていった。天地も人も。これが天地創造です。
すべて、「わたし」のために与えられていった。
「わたし」がどこから来てどこに行くのかを知ることができるように、そうされたのです。
言葉を語るには、世界がいる。世界がなければ言葉が語れない。だから、世界が造られた。
人が言葉を語るための準備がなされた。「わたし」のために次々と与えられていった。
「わたし」は、このことを知らなかった。

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聖書と言葉

イエスは言われた。
「光はいましばらくあなた方の間にある。」
「いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。」
           <ヨハネの福音書抜粋>

見えるイエスとして示されながら、私達に見えていない「命」として語られている。
今迄長い間見ることも聞くこともできなかった命の声を聞いている。
私達を内から照らしている「光」として語られている。
光は命です。肉の目からは見えない。見えない者のために、見えるものとして遣わされた。
光はこの世に、しばらくの間、留まりますが、しばらくすると、去っていく。
神から生まれたものは、神のもとに返るが、塵から生まれたものは、塵に返る。
神は、死んだ者(塵にすぎないもの)にも、しばらくの間だけ命を与えられる。
現れたイエスを見て、隠された真理を見る。
客観として見るのではなく、自分自身を見る。

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聖書と「わたしはある」


ポット灯りがついて生まれる。ポット灯りが消えて死ぬ。
ロウソクの灯で見ていると、そうなる。ロウソクの灯は束の間の明かり。
ところが、よく見ると、その消える灯に消えないものがあった。
それが見えないのは、わたしの内に光がないためだった。

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アバウトな世界


今見ている世界は、人の目から見た世界です。
当たり前と言えば当たり前ですが。
見え方は、地上における体の大きさや目の位置、それに応じた感性・能力などからきます。
その目でもって、人は空や森や川や星を見たり、オリンピックを見たりします。
人同士は、同じような感覚と感性で世界を捉えているので、互いの会話が成り立つ。
その世界しか見ていないと、その世界しかないと思ってしまうのもうなづけます。

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法律が一番大事なの?

法律について普段思っている疑問を、とりとめもなく書いてみた。雑書きです。
法律に詳しくない私が書いているので、認識相違も多いし、まとまりもないです。
疑問をダラダラと書いただけで、具体的な解決方法には、一切触れておりません。


法律が一番大事だと思っているのは、勉強のできる知識人に多いようです。
困ったことに、法律に詳しい人ほど、その抜け道もよく知っておられる。非常に巧妙です。
表(おもて)では法に触れると知っているので、誰も知らない裏で悪事を働く人もおられる。
知識人の中には、善い悪いを法律を基準に考える方が結構おられます。
逆に言うと、法に触れなければ、何でもありのような方が見受けられる。
「法律を守っています」と主張する人に限って、どうも胡散臭い気がしてならない。
法律を知っていようが知らまいが、悪い人は悪いことをします。
知識人は知識で勝とうとします。知識の少ない私には、ここがどうしても理解できない。
知識だけで言えば、知識のある人が、知識のない人に勝つのは当たり前です。
ただ、知識で勝ったものが正しいとは限らない。していることが正しい方が正しい。

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母の死

人が人を理解することなど不可能です。たとえ、自分の子であっても。

私の母は今年に亡くなりました。
母は認知症がひどかった。度々注意しても、反発ばかりで殆ど意味がなかった。
叱るのではなく、「やさしく笑いながら、こうしようね」ともっていくほかなかった。
頭とか理屈は、ほとんど役に立たないと知った。
強靭な愛でもってしか勝てない、通じ合えないと。
自分のことなど捨ててかからないと相手には通じない。全てにおいてそうなんです。
「相手を理解することができる」ということは、とんでもない錯覚で、傲慢でしかない。
頭は本当に役に立たないんです。ろくなことしか考えない。

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違いを超えて


誰かが何か語ると、それは善くにもとられたり、悪くにもとられたりします。
この世では、100%正しい、100%間違いというのはないからです。
だから、どちらかに決めてしまうと、かえって対立を生むだけなんです。
一方に傾くと、一方が反発する。シーソーのようなものです。
バランスをとるのが難しい。なので、決めつけないことです。
中途半端に頭がいい人ほど勝手に決めつけて、人を惑わしている。
論理的で分かりやすいものには、騙されやすい。単純化が誤解を招く。
この世は、AかBかではなく、AでもありBでもあるような世界です。
知識は、切り分けたり、分断したがる傾向を持つ。踏み絵のように。
白か黒かではないんですが、どうしても白と黒に分けたがるんです。
ある方位から見るとそう見えても、別の方位から見るとそう見えなかったりするもの。全方位から見ることは殆ど不可能に近いんです。

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強い者と弱い者


元々、強いものもあれば、弱いものもあります。
「もの」もそうだし、「人」もそうです。
多様性として、事実として、あるんです。

最初の頃は、強いものも弱いものも一緒に仲良く遊んでいた。
ところが、一緒に遊んでいると、あいつは強い、自分は弱いと比較するようになってきます。
まだ、この段階では、違いを知っただけで、差別には至らない。理解として留まっている。

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一寸先は闇

一寸先は闇


大変な事故や災害に会った時などには、「一寸先は闇だ」と痛感します。
ただ、その時はそう思いますが、状況が回復すると、鈍感になってしまう。
「一寸先は闇」といつも思っていたら、何もできなくなるからです。
理屈や知識よりも、今を生きていく力の方が圧倒的に強い。
いつ起きるか分からないことについては、それほど気にしないようにできている。
毎日、習慣で反応していることが多いので、非日常なことが起きると、どうしてもパニックになってしまいます。

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百聞は一見に如かず


ネットやニュースなどは百聞です。実際に見たわけではないので。
百聞は当てにならない。実際にそこに行って、そこで見てみないと分からない。
外から見ないで批判することは簡単ですが、そこに行って実際に見てみると、そう簡単でないことがよく分かる。
あんなのおかしいやと批判している人が、そこに行ったら、真っ先に同じことをしていることもある。
こんなことはよくあります。

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