どうするキャッシュレス

ポイントカードがややこしい。わずらわしい。頭が痛い。
スーパーやコンビニにいくと、必ず、「〇〇カードをお持ちですか?」と聞かれる。
カードを持っていても、出すのがめんどいので、「持っていない」と答えたりすることもある。

実は、5か月前にようやく、近くのスーパーで、そのお店専用のポイントカードを作成した。
最初は、そのカードにお金をチャージして、簡単に買い物できて喜んでいたが、残高がなくなった今は、カードを提示して現金で支払っています。

Yahooショップを開いている関係上、Yahoo!カード(Tポイント付きクレジットカード)を持っている。
大手のポイントカードには、dカード、Tカード、Rカードなどがありますが、Tカードしか持っていません。
コンビニで、よく「dカードお持ちですか?」と聞かれる。
これを「Tカードお持ちですか?」とよく聞き間違えてしまう。dとTの発音が似ているので、聞き取りにくい。
他の人のことは知らないが、皆、カードをどれぐらい持って出かけているのかなあと思う。
財布にたくさんのカードは入らないんで、どうしているんだろう。

キャッシュレスの時代が近づいている。消費税還元の問題もある。
キャッシュレスで買い物しないと、消費税還元ポイントが付かないという。どうも納得いかない。
支払いをプリペイドカードにするか、クレジットカードにするか、銀行系デビッドカード(VISA/JCBと連携でキャッシュカードと一体型)にするか、〇〇ペイにするか悩ましいですね。
私も考えた末、既存のキャッシュカードを切り替えるだけでいいデビッドカード(VISA)を今日申し込んでおいた。万一に備えて。残高があれば、即決済されるし。
キャッシュカード機能があるデビッドカードが一番簡単かな。近くのお店が対応していないと困るが、まあコンビニなどでは使えるし。


暇なので色々考えて、勝手に悩んでいる。

あいまい

私はいつもあいまい。よく分からない。
分かりたいとは思うが、これはこれ、あれはあれという風にはっきり区別して知りたいとは思わない。
というのは、分けた瞬間、何かを失った気がしてしまうからです。
とはいうものの、分けて考えないと、今の社会ではうまく働いていけない。右か左か決断しないと企業にいても役に立たない。
なので、長い間、仕方なく差別(悪い意味での差別ではない)して生きてきた。


しかし、もうその必要もなくなった。分からないものは分からないでいい。無理に分かる必要もない。
分かりたいとは思うが、論理的に分析し、切り刻んで分かりたいとは思わない。そんなことをしても分かったと思えたことがないからだ。
あいまい、優柔不断、よく分からない、これがいい。自然でいい。
結局、私は何も知らないのだから。

また、暇に任せて思うままに本音を書いてみた。誰の賛同も得られないのは分かっているのに。

わたしとうぐいす

毎日、鶯が庭にやってきます。
私の口笛と鶯の鳴き声でかけあいをしました。下の動画URLをクリックすると、美しい声が聞こえますよ。
動画の音声はスピーカーの音量を上げないと聞こえにくいかも。
私の口笛を鶯の声と間違えないでね!
間違えるわけないか。

比較する社会

比較する社会が現存していて、比較しないように生きるには、鍛錬がいります。

能力・財力で比較され顔形で比較される。社会がそうであると、皆もそれに馴染んでしまう。

本来、梅は梅で、梅は桜になりたいなどとと思わない。
それぞれの人も本来そうなのですが、いつのまにか比較ばかりするようになった。

能力というのも非常に細かい一部分だけを取り出して語られることが多い。
算数ができるとか、走るのが速いとか。

全体的な能力というのは、本来、比較できるものではないし、比較するようなものでもない。その人特有だからです。
細かい部分の違いは、単に認めたらいいことです。実際に違うんだから。顔形が違うように。
認めたらいいことなのに認めたくないから不幸になる。

社会は簡単にはいきません。ある部分の能力にたけた人を求めようとする。そこでミスマッチが起きる。皆そうではないからです。
選ばれた人とはじき出された人が生じる。
適材適所なのですが、そこへ入らないと自分はだめかのように思ってしまう。
また、社会もその人を落伍者のように見てしまうところがあるので、困ったものです。

でも悩むことなかれ。人の価値はそれで決まらない。
だから、そういう社会に負けないようにならないといけない。開き直れ!
そうでないと、いい人になれない。勝った負けたなどと思わないことです。
勝ち負けを意識しだすと、いい人に慣れない。勝ったものに対して、社会に対して、憎しみが増すだけとなる。それが一番いかん。

また、落伍者が暇に任せて余計なことを書いてしまった。
いや、落伍者ではない。開き直っているんで。

人はこうあるべき

「人はこうあるべき」と主張される方自身が、その「あるべき姿」とかけ離れておられる場合が、意外と多いものです。
口では何でも言える、というのが正直なところです。

口よりも、実際にしておられるところを見た方がいい。その方が確か。本音はその姿、行動に必ず現れる。誤魔化しようがない。
「目は口ほどに物を言う」と言いますが、姿や行動に正直に現れるものです。
行動も誤魔化せるように思いますが、よく見れば分かるものです。
人の口ほどいい加減なものは無い。

ある程度、「あるべき姿」に近い人はいいですが、正反対の人がそれを言うと、全く信用できないということになる。

弁論のたつ人、特にできる人と呼ばれる人には、十分注意すべきです。最初からできる人と思い込んでしまうと、正しく見えなくなることがあるので。
理屈で勝とうとする人には、注意すべきです。大体、愛情に欠けておられる。

小説「伊豆の踊子」に、「いい人はいいね」と語るシーンがありますが、理屈ではないんですよね。いい人と言うのは。

また、暇に任せて余計なことを書いてしまった。

知らないと損をする?

知っていると得をし、知らないと損をすることが多い。
知らないと、知らず知らずに損をしている。得する機会を逸している。
知っている人はより得をし、知らない人はますます損をする。
そういう社会に、今住んでいる。

「そんなこと当たり前だ。そのために大学まで行って勉強しているんだ。」と言われるに違いない。
そういう社会がまずあって、それを前提にして、その社会に賢く対応すべきではないかという、ごく常識的な意見です。つまり、それが賢く生きるということだ言われる。
現実社会に生きていますので、確かにそうなのですが、一方で、そういう社会っておかしいのではないかという気持ちもある。

知っている人はより得をし、知らない人はますます損をする。
すべてにおいて、そのように見えてしまう。法律、税金、保険、物品の購入など。
あまりにも制度が複雑化して、もはや細かいことは専門家でないと分からなくなってきている。詳しいことは専門家に頼らざるを得ない。
損をしないように、専門家が重宝され、有料で色々とアドバイスを受けられます。

弱者というのは、大体、そういう複雑なことについては疎い。しかし、疎いのは悪いことなのだろうか?全て知っていないといけないのだろうか?
国や地方の政治のこと、LGBTのことなども全て知らないといけないのだろうか?
損をしないように専門家がいてアドバイスをする仕組みとなっている。
それによって専門家は報酬を得る。これ自体は何らおかしくない。
知らないと損をする世界があるからこそ、そういう職業も生まれる。

本来、最も弱い人や知識のない人こそ救われないといけないと思うのだが。
勉強しないのが悪いのか? 専門家に相談しないのが悪いのか?
弱い人には、そういうことすらできない人もおられる。これが最も気になる点です。
知らない人、人脈のない人などは、ますます孤立する。損をする。
そういう社会でいいのか? 賢い人?のための社会でいいのか?

また、暇に任せて、常識はずれなことを言ってしまった。
狂っているのは、わたしなのか。

虹を見た

今日朝、虹を見た。しかし、すぐ消えてしまった。
嘘のようだった。

もう少し明るかったらよかったが、これもこれ。
ただ、これだけのこと。

食べ過ぎると太る?

しょうもない記事ですみません。暇なもんで。

お酒を飲みすぎるといかんとよく言われます。
そういうこの私もお酒で記憶を失ったのは数えきれないぐらいあります。
それによる失敗も数えきれない。
そこまで飲む前にやめときゃいいのにと人に言われるが、そこまでという基準が自分ではいつも分からない。だから、また繰り返してしまう。

食べすぎると言う人もこれとよく似ています。
通常、健康であれば、満腹感を感じたらそこでやめるものです。
また、たまに食べすぎたとしても、それだけですぐ太るものでもない。
人の体には、自動調節機能が働いているからです。
なので、この場合、新陳代謝は健全に働いています。健全に働いているうちは、食べすぎたものは、単に外に出ていくだけです。

この自動調節機能が壊れてしまうというか、自分で壊してしまうことがあります。これは、一種の病気、大変な病気だと思います。
原因は欲望かなと思う。心を気持ちが上回ってしまうことがよくあります。
ただ、ちょっとぐらいならいいが、何回も同じことを繰り返すと、調節機能が壊れてしまい、それに応じて変化せざるを得なくなる。
つまり、太る。

見た目がぽっちゃりの状態を太っていると言っているのではありません。
ここで言うところの「太る」というのは、病的なことを指しています。
誤解のないように。

かなり一般的なつまらない記事となってしまった・・・・・

令について

昨日、元号が「令和」に決定しました。

「令」と言う文字は、人によってかなり捉え方が違ってくるようですね。

命令の令だから冷たい感じがするという方もおられます。確かにそう捉えたら、そうなりますよね。
同じ人間同士だと、上から下というのは、あまりいい気がしないですから。

ただ、この令を下すのは、人ではなく神であると思うと納得できるんですよね。
花が咲くのも、咲くようにと命令され、花が咲く。
その時々に応じて、令が下され、自然が生きづいている。
このように思うと、令も冷たくないような気がしてきますね。
自然の力を愛でる気持ちを昔の人が大事にしていたような気がします。

いつのまにか、その神が天皇となり、天皇が人となってしまった。
天孫降臨の本来の意味は、随分昔において、既に失われていたように思います。

わたくしの勝手な解釈で申し訳ありませんでした。
個人的には西暦だけで十分な気がします。いちいち換算するのが面倒なので。

明日は畑仕事

明日は仕事がないので、畑仕事をしようと思っています。
綾部に畑があるの、毎週、そこへ行って草引きや野菜を作っています。
明日は、去年台風などで木が折れたりしたのを片付けして、それを焼こうかなと思っています。
これから春がくると草もどんどん大きくなってくるので、草刈りが大変です。
京都縦貫道の料金払って、畑仕事に行っても、元はとれない。
ただ、心が落ち着く。行くと仕事があって、一日があっという間に終わる。
余計なこと一切考えず、その空気の中にいるだけで落ち着く。
子供のころから、そこで育ったので、新和感がある。自然と体も動くので、日頃の運動不足を少しだけ解消できます。
折れた木がそこらあたりに散らばっている。早く片付けないといけない。

モルモットパソコンは餓死したか?

上記お問い合わせを、どなたからかグーグルビジネスの投稿欄でいただきました。

※投稿内容↑

いやいや、生きております。これだけは報告しておきます。
食べるものは食べています。贅沢はしていませんが。 それだけで十分です。
パソコン教室(&パソコンの修理)を開いて、16年にもなる。早いものです。

客こそ少ないが、それなりに信頼されています。それだけですね。 困った人がいたら、すぐ助けに行きます。
敏捷性だけが売り物かな。 大した知識もなければ、技術もない。 だけど、大体が、解決してしまうんです。不思議ですよね。
ブログの更新を期待されている方には、本当に申し訳ないと思っています。

更新していないと、餓死していると思われるんだということがよく分かりました。
正直言って、このブログのこと忘れてました。ご指摘有難く思っています。

以前ほど、頻繁に更新しようとする気持ちが薄れてきているように思います。
それでも、モルモットパソコンのホームページを見て、時折、電話があります。 本当にありがたいことです。 何もない日の方が多いですが。
宣伝しようとする積極的な気持ち自体が薄れてしまった。
と言うか、元々商売魂が欠けている。 このままではあかんとは、思っているのですが。