権利について

権利というのは、元々ありません。
単に知性によって考え出されたもので、法によって権威づけ、保障したものにすぎない。
自然法と呼ばれるもの、これも同様、元々ありません。
法によって権威付けをし、それを国民が認め、有難がられている。紙のお札と似ている。
法に対する国民の信頼が失われると、権利の効果も失われます。
何よりも人同士の信頼が一番大事。それが崩れると、決めごとはすべて崩れます。

権利で溢れた世界に、私たちは今います。
そこに慣れると、それが当たり前のように感じていますが、実は、特殊な仮想世界にいる。
動物や虫の世界には、権利という言葉はありません。でも、自分の縄張り(領域)を互いにきっちり主張し合っているので、それを権利の主張と言えなくもない。
相手の領域に侵入しようとすると、仕打ちに合います。これは人も同じ。壁がある。
と言うか、
 
動物的な「縄張り意識」を人が勝手に「権利」という美しい言葉で偽装しただけのこと。
臭いものに蓋をして、自ら見ないようにしている。圧が高くなると、蓋が吹っ飛ぶ。
正義という美しい言葉も同じ。動物的な縄張りに元々正義も悪もありません。正しさというのは、その時々において、場当たりで決めているだけ。いい加減。
「人」を動物と区別して呼びますが、していることは動物と同じ。いや、動物より陰湿か。

今の世の中には、様々な権利が定められています。
〇〇の権利というのが、どんどん増えてきています。権利権利と文明開化の音がする?
増えすぎて、どれだけあるのかよく知らない。知的エリート層は好んで用いますが。

権利が少ないうちは、それなりに効果も出ます。
だが、少し増えてくると、今度は逆に権利に束縛されて自由に身動きできなくなって不満が生じてくる。権利と自由が対立してくる。
そうすると、反発して逆の権利が主張されるようになってきます。
総論(理念)では同意できても、各論(現実)では対立する、よくあるパターン。

こうして、権利がどんどん増えていくと、一体どうなるかと言うと、
なんでも権利になってしまい、その結果、権利が全くなかった最初の時と変わらなくなってしまう。権利同士が矛盾・対立、権利の乱用は常。
つまり、なんでもありの、全く野放しの自然状態に戻ってしまう。
皆が権利を振りかざして、攻撃的に振舞うようになると、そうなります。

これが権利一辺倒の行き着く先。法律の限界。知性(intelligence)の終焉。
知性は結局、欲望に勝てない。知性より物を握っている方が最終的には強い。

そんなことはないと反論されそうですが、そうなりつつある。
権利ができて争いが減ったでしょうか。逆です。とてつもなく増えた。
攻撃と防御には、銃か権利が用いられる。権利は争いを助長させる武器のようなもの。
武器を増やすと、自分も撃たれやすくなる。当然ですね。

人の考えることは、矛盾だらけ。
自分で自分の首を絞めている感じです。人を量れば、その量りで自分が量り返される。
人の理性や知性は、素晴らしいと思っていたが裏切られた。弱すぎた。
理性や知性は、自己正当化の道具として用いられている。真実を見たがらない。
私は今まで一体何を学んできたのだろう。少し目が覚めた。
知性は、散らすことはしても、集めることをしない。集めるにはどうすべきか。