独裁か民主か

独裁は独裁が育つ土壌があり、民主は民主が育つ土壌があるように思います。
危機時には独裁が芽吹き、平和時には民主が芽吹く傾向にある。

  • 危機時には、強いリーダーシップを持つ人が現れないと国民を引っ張っていけない。苦境を乗り越えられない。だから独裁が育つ。力が重視される。
     
  • 平和時には、特別強いリーダーがいなくても、皆の意見を聞きながら対応ができてしまう。だから民主が育ちやすい。理性や知性が重視される。

    どちらが良くて、どちらが悪いということではない。なるべくしてなるということでしょう。

今を平和と捉えるか危機と捉えるかは、国の支配者によって異なります。
ここで感じ方に微妙な差が出ます。
縄張り意識が根底にあって、互いの国が感じる恐怖感や緊張の度合いが、両国間で微妙な食い違いが生じます。支配者と国民の間でも食い違いが生じる。

〇〇主義とか制度に問題がないものはありません。単に主義だけで判断できない。
いくら形を整えても、中身(人の心)が相変わらず悪いままでは、見せかけにすぎない。
悪い人は何をやっても悪いことをします。巧みに語っても、していることが汚い。

独裁でさえ、元々は人民が望んだもの。だから、民主と言えなくもない。
ただ、独裁も長く続くと、不満も出てきます。自由を見ると、自由が欲しくなりますし。
また、出来上がった体制は徐々に柔軟性がなくなり、既得権益や権力にしがみつくようになっていきます。

かと言って、民主を掲げて自由を増やしていくと、個々の権利ばかりを主張するようになり、団結力が弱まり、統率がうまくいかなくなってきます。バラバラな社会になってしまう。
日本や米国を見れば、一目瞭然。国はあれど中身はバラバラ。内部崩壊している。
こういった危機が近づくと、逆に強いリーダーシップを持った人を望むようになってくる。
望まれて英雄が出てくる。独裁者なんですが、独裁者と呼ばれず、英雄と呼ばれる。

独裁であれ、民主であれ、国民に不満が増えてくると、その調整に余計な力をとられることになる。問題の根幹は根深い。ちょっと直しても直ぐ破れる。

これが長く続くと、国は弱体化し、内部崩壊していく。バラバラになると当然そうなります。偽善は剥がされ、汚れた心が剝き出しとなる。
ところが、今、そういう状況にあっても危機感があまりない。そこが恐い。
作っては壊し、壊しては作る。歴史はその連続。未だその抜け出し方を知らない。

「独裁が悪で、民主が善」だという固定的な考え方で、この流動的な世界を捉えられません。
その逆も同じ。
形にこだわると中身が見えなくなります。枠にはめてはいけない。
世界標準など、元々ありません。なのに、勝手に世界標準の尺度を決めるからおかしくなる。
大抵、どこも自分達は正しいと思っているものです。
ただ、不変ではない。日々動いています。中身が動くと、形も動くからです。