洗脳人間

殆どの人が洗脳されていると言っても過言ではない

学校などで習ったことや仕事上の体験、友人関係などを通して洗脳される。
自然に影響されて身についてしまう、これが洗脳です。
いつの間にか知らない間に洗脳されているので、自分が洗脳されているとは思わない。
他国をプロパガンダに支配されていると非難している。自国もそうなのに気付かない。
自分の思考パターンを否定することは自己否定につながる。だから、滅多に否定しない。
洗脳と言うと悪く聞こえますが、そこの環境に浸ると、そこの思考パターンに順応してくるということ。オウム真理教のようなものだけを言うのではない。
ある思考パターンにハマると、それを通して世界を見てしまう。
特定の色眼鏡をかけると、世界がそういう色で見えるということです。
郷に入れば郷に従う。これも洗脳されるから。捉え方で見え方が変わる。

ゆるーい田舎から都会に出て、大学や厳しいサラリーマン生活をした後、田舎に帰ってくると、どうも田舎が適当で、ピリッとしていないように思えることがあります。
田舎の人々に対し、効率とか法律とか論理、主義や主張を大上段に振りかざすと、田舎らしさ、ゆるーくおっとりした世界と摩擦を起こしかねない。
大学や会社へ行くと、いつの間にか思考パターンが変わっています。洗脳されている。
(※ここでは、分かりやすいように田舎をかなり誇張して表現しています)

会社でも、1950年代はまだ家族的で和やかだった。私が「会社を辞めたい」と言うと、上司から「考え直してみたら。もう一度頑張ってみないか」などと説得されたものです。
ところが、バブル崩壊後では、「いつでも辞めたい奴は辞めろ!引き止めない」と当たり前に言われるようになった。こんなにも変わる。本当にギスギスしていた。
でも、そういった生活に慣れると、自分もそのように変わってしまうんです。
人は順応しやすく、自然に身についてしまう。生きる術というか。
順応できない場合、ノイローゼになったりします。敗者と見なされることもある。

考え方は衣類のようなもの。流行に流されがち

考え方の違いは物差しの違いからくる。だが、尺度が一杯あって、統一した物差しがない。
ここで問題が起きる。
新しい物差しは、概して、古いものを悪いものと思ってしまいがちです。
新しいものは、甘美なものに見え、騙されやすい。形より中身なんですが、形を好む。
両者の足元の立ち位置が、最初から違っている為、まとまりがつかない。平行線のまま。
それでも、無理矢理に解決しようものなら、力づくにならざるを得ない。
かけている眼鏡が違っていると、見える世界が違ってくるのです。

思考パターンというのは、本当にいい加減で当てにならない。コロコロ変わる。
今、あなたの思考パターンも時代の産物、時と場所から身に着けたものです。
皆、洗脳されているのに、自分が洗脳されているとは思わない。言われても認めない。
常に自分こそが正しいと思っています。これこそが妄想なんですが、気づかない。
ここに難しさがある。

考え方や〇〇主義を脱ぎ捨てないといけない。絶対的なものはそこにはない。
それらは、衣服のようなもの。場所や時に応じて、流行を着ている。
衣服の違いであまり神経質にならないことです。
多様性を主張するその口で、差別をしている。皆、ダブルスタンダード。

この時代では、知性や理性などのインテリジェンスが重んじられていますが、必ず反動が来るでしょう。正しく見えず、間違いと差別と対立が増えるばかり。