真理とは何か(ピラトの言葉)



ピラトは言った。「真理とは何か。」(聖書:ヨハネによる福音書より)

相手の身になって考えるということは大事です。
ただ、それによって相手を完全に理解できるか言うと、残念ながら理解できません。
そこそこの理解で十分なんです。
理解というのは頭で行いますが、頭には完全理解するほどの力がないからです。

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小さいことから始めよう

壮大な理念は持つ必要はない。いや、持ってはいけない。
世界平和とか自由とか平等とか民主主義とかの理念もそう。
これは空想の産物であり、幻想。

足元にある、もっと小さいことから始めるべき。
と言うのは、今私がここに置かれているのは、ここですべきことがあるからです。
ここの場所をきっちりすることが、世界をきっちりすることにつながる。
どんな動物や植物でも、まず身の回りから固めます。これが自分の仕事です。
それをせず、大いなる理想を掲げても、ただの幻想でしかない。
頭だけで語る人は、幻想の中に暮らしています。現実をコントロールできない。
知的エリート達が世界を混迷に導いている。なのに、尊ばれている。不思議なこと。
頭はもっと、身近なものに使うべきです。知性が混乱をもたらしているからです。
頭はとてつもなく広く想像できますが、現実について知っていることは僅か。

難しい理念から始める必要はない。いや、そこから始めてはいけない。
知識人が得意とする難しい理念は、あまりにも現実とかけ離れている。
はっきり言って、理念から始めると自己矛盾が生じて混乱が生じるだけなんです。
理性も知性も地に落ちた。頭は間違ってばかり。もう信用できません。

隣人を大切にし、つながりが保たれるなら、自ずと全体へつながっていきます。
身の回りがきっちりしていないから、全体もうまく回らないのです。
最も大事なのは、今いるここの場所。あそこではない。
そこをないがしろにしてどうして世界平和など達成できるでしょう。

小さいことができない人に、どうして大きなことができるでしょう。
賢くなると、人はその賢さに溺れてしまう。足元が一番大事なのに、足元を見なくなる。
口で恰好いいことばかり語る人は、すぐに矛盾が露呈してくるものです。

美しいものには刺がある

  

美しいものには棘がある。
自由とか民主主義という理念も然り。
今や、その輝きは失せてしまったかのようだ。

どんなに美しく便利なものでも、結局、使う人が悪いと、何の役にも立たない。

実を言うと、美しく見えただけなんです。ないものねだり。青い鳥のように。
理念の美しさに自ら酔いしれ、好んで騙されていただけなんです。恋のように。
美しいものには危うさがある。全部が全部そうとは言えないが、結構当たっています。
今だにその理念に酔っている人がいる。絶対に偽だとは思いたくないんだろう。
国民主権を絶対化してしまうと、結果的にそうなってしまう。
人権や民主主義も然り。理念は、所詮、理念だけのもの。頭の中に浮かぶ空想でしかない。
人は美しいものを欲しがる。臭いものに蓋をしないで、事実をしっかり見るべきだ。

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ファジーがいい

ファジーな世界

曖昧がいい。つながりが最も大切。つながっていないから切れている。
曖昧さを大切にしないと、真理がこぼれていく。
ファジーだからこそ、真理の方へ導かれる。何も知らないからこそ導かれる。
生活する上で、理屈(=経験則)は必要ですが、理屈で真理は得られない。

細かく突き詰めるから、分裂や喧嘩が起きてしまう。明確にしようとして混乱を招いている。
子供同士でも「これは僕のものだ」「私が先に見つけた」と言って喧嘩している。
これが領土問題等の起因にもなっている。
元々あやふやなものを、無理矢理に分けようとすると、必然、こうなる。
土地は元々、誰のものでもないんだし。それを切り裂くと、必ず自分に跳ね返ってくる。

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求めるから与えられる


人は自分の体のことも、宇宙のこともほとんど知らない。
「1/無限」の僅かな知識をもとに、すべてを推し量ろうとしている。
僅かな知識を持った者同士が互いに競い合っている。
どんぐりの背比べのように、数cmの違いを競い合っている。
悲しいことですが、これが現実。

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癌と戦争


体の中では、たくさんの細胞や菌が協力し合って、一つの個体を維持しています。
しかし、突然、特定の細胞が癌化して、他の細胞を壊そうとすることがあります。
そうすると、周辺の細胞や体中の組織が協力し合って、癌と闘おうとします。
外科手術で癌を除去することができることもあるが、結果的に個体が死ぬ場合もある。

癌の原因は、はっきりしていませんが、恐らく、今の戦争が起きる原因と同じでしょう。

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万物は流転する

表面上、変わりやすいものと変わりにくいものとがあります。

  • 変わりにくいものは、「昼と夜の交代」のように、法則化しやすい。
  • 変わりやすいものは、「心」のように、法則化しづらい。

昼と夜の交代‥‥‥‥‥法則的

昼と夜の交代は、地上では当たり前ですが、宇宙には、交代しないところもあります。
地上において当たり前なことが、全ての場所においてもそうであるとは限らない。
地上では、日々、似たようなことが繰り返されているので、生活が成り立っている。
厳密には全て変化していますが、見た目で、あまり変わらないものがあるおかげで、生活が成り立っている。

心     ‥‥‥‥‥自 由

人の意思は結構自由なので、法則化しづらい。
人によって傾向性というものはあるだろうが、右を選ぶか左を選ぶかは、思い付きで決めることも多く、当てになりません。
自由意思があるから人は生きていると感じている。意思でものを支配することで。
人は変わりやすい自由意思でもって、変わりにくいものを動かして、変更を加える。家を建てたりするように。
人だけでなく、動物や昆虫も同じように、変わりにくいものに変更を加えて、自分の生活をより快適にしようとします。変わりにくいものがあるから助かっている。
心はものから生まれるのではない。本来、心がものを支配するのであって、心がものに支配されてはいけないのです。そうでないと、真に自由にはなれない。

厳密には全て変化しています。だから、突然、家が倒れたり、地震が起きたりすることもある。反日常が起きるとパニックに陥る。
想定外が起きると、当たり前が崩れることもある。法則の見直しが必要となる。
表面しか見ていないと、いつ、どういうことが起きるのかを把握するのは難しい。

全ては最初から動いている。力を加える前に動いている。万物は流転しています。
これは物理学ではありません。ものの理(ことわり)です。

表面上、止まって見えるものもありますが、これは、そういう領域(場)に人が住んでいるためです。
その場に入ってしまうと、認識や能力は、ある範囲内でしか捉えることができないために、止まっているとしか思えない。
変わりやすいもの、変わりにくいものといった捉え方も、その場にいるために、そのように認識されるのです。
ちょっと信じがたいですが、私にはどうもそんな気がしてならない。

世界は心を反映する


心が大事です。

世界は、心を反映するからです。
心がそうだから、世界もそうなるという関係にある。
心が物質的なものを求めると、眼前に物質的な世界が映し出されます。
求めて、その結果、そうなる。自分でしたことが自分に返ってくる。
ものに命はない。だから、死ぬことになる。
滅ぶものを求めるから、結果的に自分も滅ぶことになる。
滅ぶものの上に立っているから、ものが崩れると、自分も崩れ落ちる。

心が何を求めるかが、最も大事です。
あなたの求めているところに、あなたの心もあります。
今、あなたは何を求めていますか。それは、滅ぶものですか。
世界と心は全く別なものではない。世界はあなたを映す鏡のようなもの。

切取り&貼り付け

話が切り取られて伝わり、誤解を招いてしまうということがよくあります。

程度の差はあるが、基本、人の目は、切り取ったものしか見えない。

前を見ていると、後ろが見えないように、一度に全部を見ることができないためです。
そこに意識が向くと、漠然とそこらあたりしか見えないのが普通です。
肉の目はそういう風にできている。前後左右を一度に全部見ることはできない。
また、極微なものも極大なものも見えない。ある範囲しか見えない。
他人を見ていても自分が見えない。自分のことを見ずに、他人を批判している。

全体の中の一部、例えば木や森を見ている時、実を言うと、切り取って見ているのです。
一部を切り取って、頭に貼り付けている。カットアンドペーストです。
その切り取った材料を集めてモザイク画像のように自由に作成している。
これが思考というもの。
ただ、この「切り取っている」という感覚は、少し理解しづらいかもしれないですね。

この世は、切り取ったもので出来ている。モザイク。 
そのように見てしまうから、そのようになってしまった。
よく見えているようで見えていないんです。磨かないと見えない。

知識と理解


蟻には蟻の世界(場)がある。
人は蟻について勉強をして知識を増やすことはできても、蟻の気持ちまでは分からない。
つまり、知識には限界がある。少し知っていても、理解したというのにはほど遠い。
蟻のことを本当に知るには、蟻になる以外ないんです。
しかし、蟻になったら、蟻のことしか分からなくなる。人でなくなるから。

領域(場)というのがある。そして、その領域ごとに常識(当たり前)が異なる。
これは、蟻や動物だけでなく、厳密には、人同士にもあります。
私はあなたを完全に理解することはできない。何故なら、私はあなたではないからです。
あなたを勉強して少しづつ知ることはできますが、理解するまでには至れない。
知識とはそういうもの。限界を知っていることが大事。
私は私自身についてもよく知らない。なのに、どうして他を知ることができようか。

客観は客観。当体ではない。傍観者です。知識は客観。深い溝があります。
知識で全て理解できると思ったら、それは、傲慢です。
知識が細かく増えたとしても同じ。究極には至れない。限りがない。
知識の限界を理解しながら、知識を活用することが大事です。
知識は生活上役に立ちます。ただ、それを真理にまで格上げするようなものではないんです。
知識というのは元々、あいまいなもの、概念、おおむねなんです。それ以上ではない。

★あいまいなものの裏に隠されているものにこそ、宝石(真理)がある。
★知らないということを知ることが大事。謙虚になれる。
★「私はあなたではない」。しかし、真理においては、私とあなたは一つです。

ワル


人はチラホラいいことを言ったり、したりすることがありますが、基本、ワルです。
ただ、ワルにも程度があり、「俺はあいつほどワルくはない」と言って、ワルがワル同士で非難し合っている。よく見る光景。

ワルは、海底火山のマグマに似ています。
表面上、海面は穏やかに見える時もありますが、マグマがたまると爆発します。
表面をいくらオブラートで包んで綺麗に装っても、いつか剥がれてくる。
歴史が繰り返すというのも、当たり前なんです。人は何も進化していないのだから。
世界は表と裏がある。表しか見ていないと、見誤ってしまいます。
いや、本来、表を見ると裏も見えるんですが、そこまでの眼力を人は持っていないんです。
裏はあまり見たくないので見ようとしない。
これは、どうしようもない事実で、この根幹を修復することはまず難しい。
難しいから、同じようなことが繰り返される。六道輪廻の如く。

もし、本当に純粋な人なら、きっと絶望するに違いない。
でも、そういう純粋な人は稀。心配するに足らないか。

集団としての命?

新型コロナのライフサイクル?

デルタ株がオミクロン株に入れ替わると言われても、イマイチよく分からない。
現象的にはそうかもしれないが、「何で?」なのかが分からない。
新型コロナについては今のところ、はっきりした知見は少ない。
最初は誰も知らない。後で学んで少しづつ分かるようになる。今は、まだ最初の内。

コロナの一生(盛衰)を見ていると、集団としてのライフサイクルのようなものを感じます。
 盛衰に気候とかあまり関係ない気がします。
ある集団のライフサイクルが終えて、新しい集団(新株)のライフサイクルが始まるという感じ。これが、株が入れ替わったという現象として捉えられるのではないかと思います。

集団単位で、集団としての命?というか、存続時間(強い→弱くなる→消滅)がある程度決められているような気がしてならない。個々の命ではなく、集団の命として。
 例えば、デルタ株集団は、個々ではなく、集団全体として何か月程度という存続期間が定められているのでは。

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