ファジーがいい

ファジーな世界

曖昧がいい。つながりが最も大切。つながっていないから切れている。
曖昧さを大切にしないと、真理がこぼれていく。
ファジーだからこそ、真理の方へ導かれる。何も知らないからこそ導かれる。
生活する上で、理屈(=経験則)は必要ですが、理屈で真理は得られない。

細かく突き詰めるから、分裂や喧嘩が起きてしまう。明確にしようとして混乱を招いている。
子供同士でも「これは僕のものだ」「私が先に見つけた」と言って喧嘩している。
これが領土問題等の起因にもなっている。
元々あやふやなものを、無理矢理に分けようとすると、必然、こうなる。
土地は元々、誰のものでもないんだし。それを切り裂くと、必ず自分に跳ね返ってくる。

例えば、政治問題を話題にすると、仲間同士で言い合いになることがあります。
「今日は、いい天気ですね~」ぐらいの会話が一番いい。ぼやーとしていて。少し極端な言い方ですけど。「そういう考えもあるんだね」という感じでいいんです。
「考え方」というのは様々で、どちらかが100%正しいというものではありません。
考え方にも多様性があるからです。それぞれ自分に合った服を着ているのと同じなんです。
多様性とは、理解するようなものではなく、受け入れるもの。でないと、差別に転じます。
これがいいとか悪いとかを厳格に選別するよりも、仲間同士であることの方が大切。

本当に深いところでつながっていれば、喧嘩や戦争になることなどありえない
そもそも喧嘩が起きるのは、最初から深くつながっていないからです。
根っこで固くつながっていたら、枝葉で揉めることはないんです。
お金や名誉でつながっている友達は、それらを失うと友達の縁は切れます。浅いから。
とは言え、甘い蜜には、群がってきます。悲しいかな、人は誘惑にとても弱い。
経済力や軍事力でのつながりも同じ。人は「義」よりも甘い蜜を好む。浅いものが好き。

本当につながるというのは、簡単なことではない。
無条件でつながっていないといけないからです。理屈以前の段階で。
つながるとか「言葉で語る以前」に、根幹でつながっていないといけない。
言うは易く、行うは難し。理屈以前に戻るには強靭な忍耐がいります。
細かく散らす人は多いが、一つにまとめようとする人はとても少ない。
「本当の愛」は理屈以前。大事なものはこれ一つ。後は加えて与えられる。