自分を捨てる

友達同士なら、そう問題は起きない。
「お前おかしいぞ」
「そうかな ゴメン」
で終わることが殆ど。
たとえ、そこで終わらない場合でも、大きな喧嘩まで発展することは稀。
「しょうがない奴やなー」で許してしまうこともある。
これは、友達同士なら、互いに相手を信頼し、気心が知れているためです。
だから、立場や民族や国境に隔てなく、友達同士であるべきです。理屈以前に。
そのためには、自分の内に壁を設けないことが最も大事。
少々のことで腹を立てていると、友達になれないばかりか、敵を作ることになってしまうからです。
言うは易く、行うは難し。ただ愛の深さと忍耐に依る。
敵を作ってはならない。もし喧嘩をしたら、早めに仲直りしましょう。

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尋ねるのは何故?

人には「なぜ?」と尋ねる知的探求心があります。
そして、不思議な世界があります。
もし、探求心がなければ、不思議な世界もない。
もし、探求心が全て満たされたなら、不思議さも消え去るでしょう。

やっと解明できたと思っても、更に分からないことが出てくるものです。

本質を知らないまま、枝葉の部分だけで分かったと錯覚していることって本当に多いんです。自分では、錯覚しているとは思わないから厄介なんです。

枝葉をいくら細かく調べても、結局、枝葉しか出てこない。
この世の物差しで測る限り、「なぜ?」は永久に続きます。

物差し自体が枝葉を基準にしている為、測っても、本質はこぼれ落ちてしまう。

霊から生まれたものは霊


霊から生まれたものは霊であり、どこから来てどこに行くのか知らない。
生まれた霊(わたし)は何も知らない。霊であることすら知らない。
「知る」にはどうしても言葉がいる。「わたし」はまだ言葉を持っていなかった。
言葉を持って、初めて「知る」ということが起きる。
しかし、「知る」に至る道には、二つの木があった。善悪の知識の木と命の木。
同じ「知る」でも、真理・命に大きな差、天と地ほどの違いがあった。

神は存在であり、かつ言葉です。神の霊は、それ自身で生きておられます。
ところが、生まれた霊はそうではなかった。言葉・命を持っていなかった。
つまり、生きていなかった。完全なる死の中にあった。
霊であっても霊であることを知らず、闇しかなかった。
存在していても、存在していることを知らないなら、生きているとは言えない。
存在していても、何も支配していないなら、生きているとは言えない。
たとえ、存在していても、存在を証するものがいないと、存在しないことになります。
「わたし」は最初から霊として「ある」のですが、そのことを知らなかった。
「わたしはある」ということを知らなかった。
神は、「わたし」にそのことを知らしめようと導かれる。霊と真理において。
天地創造以前から、「わたしはある」ということを。

証するために、わたしは天地(言葉の世界)に連れてこられた。
「わたし」がわたし自身を知ることができるようにと、「わたし」に命を与えられた。
霊から出たわたしは、霊のところに戻らないといけない。「わたしはある」を知って。
元々そこにいるのだから、真理を携えて戻らないといけない。
光を持たないと、出たままとなって戻れない。知らないままで終わる。

霊からゴムが伸びて飛び出ます。そしてゴムは縮んで霊のところに戻る。
もし、ゴムが壊れたら、切れてしまって戻れなくなる。
戻る時は、神々しくなって戻ることになる。
存在は存在から出てきた言葉によって証される。
言葉は神と共にあるからです。
「わたしはある」ということを受け入れるなら、わたしは父の内にいます。
最初からあった真理を、最後に知る。最初は何も知らない。
何も知らなかったものが、最後に知るものとなる。その後、天地は滅ぶ。
天地は最初があり、最後がある。
真理に至るには、時という「たとえ」を通らないといけない。

聖書と世界


聖書に描かれている世界には大きく分けて三つあります。

  1. 人が造られる前の世界
  2. 人が造られて、人が天上にいる時の世界
  3. 人が地上に堕ちてからの世界
     

今の私達は、3.しか知らない。1.と2.を知らない。
1.2.3.と上から下に降りていく。
もちろん、上とか下は、たとえであって、物理的な上下を示すものではない。

イエス一人だけが、上に上げられた人として書かれています。
イエス一人を知って、全て推し量るべしということです。
それに続けということです。

1.と2.の世界は通って来たものでないと分からない。
通ってきても、通って来たことを知らなければ、通って来たと言えない。
通って来たことを知って、初めて通って来たものとなる。
遣わされても遣わされたこと知らなければ、遣わされたものとならない。
知らなかったことを知らなければ知ったことにならない。
ここに難しさがある。既に知っていると、知っていることが邪魔をするからです。
何も知らなかった頃に戻らないといけない。しかし、それが難しい。
まず、すべてを捨てないといけない。捨てないと、信じることすら難しい。

天地創造以前、わたしが生まれた時、わたしはどこから来てどこに行くのか知らなかった。
闇があった。それを救うために光が入れられた。

自分が本当に何も知らないと気づいた時、敬虔になります。大いなる方、知っておられる方に導かれます。
知っていると思った瞬間、導かれなくなる。自分を神にしているから。

聖書の言葉とこの世の言葉

とんでもなく違っていることを「天と地ほど違う」と言うことがあります。
聖書を読むと、一つ一つの言葉が、私達の知っている意味とあまりにも違っていることに気付かされます。
私達が語る言葉と同じ言葉、名前を用いて書かれているのですが、その意味合いが随分異なるのです。
似ているが随分異なっている。
この「似ている」というニュアンスが聖書で言うところの「たとえ」を想起させます。

例えば、「知る」という一つの言葉、名を例に取り上げてみましょう。
私達は「知っている」とか、「理解している」とか、日常的に使っています。
ところが、聖書では、知っている方というのは神しかおられません。
つまり、私たちは何も知らないし、何も理解していないということになります。
「知っている」と語る資格など、私達にはないということになる。
知らないが故に、私達を真理に導こうとして、神は「たとえ」を用いて語られる。
人は元々何も知らない。これが前提にあります。もし、これに気付けないと先には進めない。
「無知を知る」という言葉がありますが、まさに、そこに戻らないとスタートに立てない。

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年齢と意欲

もう私も70代です。

ブログでは偉そうなことを書いていますが、聖人君子でもなく、結構いい加減なおじさんです。書く時だけは真面目になりますが、これは致し方ない。

当パソコン教室に来られる方は、年配の方が殆ど。

中には90歳近い方もおられる。普段は二階の教室で教えていますが、その方だけは足や体が悪いので、一階の居間で教えています。
歩くのも大変なので、体を支えながら靴を脱いだり、抱えながら居間に上がってもらいます。
Wordを学ぶと言っても、簡単な一つぐらいの機能だけなんですが、たったそれだけでものすごく感激されておられる。そして、感謝される。
どうしても、手紙を書きたいという一心で習いに来られているんですね。
ちょっとしたことを学んでも、その人にとっては、ものすごく大きな収穫なんです。
教える私としても喜んでいただいたら、それで十分。評価とかは一切不要。これが最高かな。
その方は、昔は府庁の偉いさんだったそうな。今となっては、関係ないですね。本人も私も。

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聖書と人の言葉


言葉で世界を捉えます。

どうして、人は言葉を語るのか、その答えは聖書にあった。

天地創造以前、「わたし」が生まれた時、闇しかなかった。だから、闇に属した。
これは、避けられない。
「わたし」は、まだ、言葉(命)を持っていなかった。だから、何も知らなかった。
水の面を神の霊が動いていたが、知る余地もなかった。闇しかなかった。
すべては、ここから始まった。

後は、光によって、付け加えて与えられていった。天地も人も。これが天地創造です。
すべて、「わたし」のために与えられていった。
「わたし」がどこから来てどこに行くのかを知ることができるように、そうされたのです。
言葉を語るには、世界がいる。世界がなければ言葉が語れない。だから、世界が造られた。
人が言葉を語るための準備がなされた。「わたし」のために次々と与えられていった。
「わたし」は、このことを知らなかった。

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新品パソコンが31,936円、マジ?

60代の年配の生徒さんに頼まれて、パソコンを探してみた。
今迄、中古パソコンを購入することが多かったんですが、今回は新品を買うことにした。
今、中古パソコンで売っているものは、Windows7時代のPCをWindows10にアップグレードしたものが多い。そして、HDDをSSDに替えて、Corei3~i7を売り文句にして販売しています。

中古パソコンの購入する時に一番困るのは、BIOSがUEFIでないものが結構あるということです。
UEFIか「レガシーBIOS」なのか明記されていないため、中古PCを購入する時には、一番迷うところです。
最近のパソコンなら、皆、UEFIですから問題ないんですが。

中古PCの中には、たまに、無理やりWindows10にアップしたものもあり、不調なPCを買わされた経験が私にもあります。もちろん、返却しましたが。

こういうことがあって、今回は新品モデルで安いのを探して、生徒さんに買ってあげようと考えた。いろいろ探してみました。
そして、2月に見つけたのが、下記DELLのパソコンです。早速注文してみた。
価格は、Microsoft Office Personal2019が付いて、税込み31,936円! クーポン割引後の価格
今は同じ値段では売っていないかもしれない。

【今回購入した新品パソコンの内容】

  • Inspiron 15 3000 シリーズ – 3583
  • Celeron プロセッサ4205U (2MBキャッシュ、1.8 GHz)
  • 391-BDYU 15.6-インチ HD (1366 x 768) 非光沢 LED-バックライト 非-タッチ
  • メモリ:4GB, 4Gx1, DDR4, 2666MHz 1
  • HDD:400-AQUN 1TB 5400 rpm 2.5インチ SATA HDD
  • 光学ドライブなし
  • カメラあり
  • Microsoft Office Personal 2019 (日本語版)

どうせ、この価格なんだから、動きは遅いだろうし、使い物にもならないだろうなと思っていました。
届いてから、HDDをSSDに交換したらいいやと、最初から考えていたんです。


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リカバリ(購入時に戻す)の仕方

「リカバリメディア作成ツール」がないパソコンが多いです。
ない場合には、「回復ドライブ」をリカバリメディアとして
作成しておきましょう。

  1. 自分のパソコンに「リカバリメディア作成ツール」がある場合には、それを使用して、リカバリメディアを作成しておくことをお勧めします。【重要】
     
  2. 自分のパソコンを調べてみて、リカバリメディア作成ツールがないパソコンだった場合には、回復ドライブを今すぐに作成しておくべきです。【重要】
     
  3. リカバリとは、パソコンを購入時の状態に戻すことです。
    購入時の状態に戻らない「回復ドライブ」は、リカバリメディアとは言えない。
    購入時に付属していたアプリが戻るからこそ価値がある。

再セットアップメディア(リカバリメディア)の作成ツールを使う

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聖書と言葉

イエスは言われた。
「光はいましばらくあなた方の間にある。」
「いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。」
           <ヨハネの福音書抜粋>

見えるイエスとして示されながら、私達に見えていない「命」として語られている。
今迄長い間見ることも聞くこともできなかった命の声を聞いている。
私達を内から照らしている「光」として語られている。
光は命です。肉の目からは見えない。見えない者のために、見えるものとして遣わされた。
光はこの世に、しばらくの間、留まりますが、しばらくすると、去っていく。
神から生まれたものは、神のもとに返るが、塵から生まれたものは、塵に返る。
神は、死んだ者(塵にすぎないもの)にも、しばらくの間だけ命を与えられる。
現れたイエスを見て、隠された真理を見る。
客観として見るのではなく、自分自身を見る。

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投稿記事-テーブルとブロックの枠線

この記事は、ホームページビルダーのユーザーで、かつ、WordPressを利用されている方を対象に書いています。

 ※ブロックエディタの詳しい説明は、下記のサイトが役に立ちます。
  【2021年版】WordPressブロックエディターの使い方総まとめ

投稿記事は、ブロックエディタを使用して、ブロック単位で作成します。
ホームページビルダーをお使いの方は、WordPressでブログを書く時、どんな種類のブロックタイプを使っておられますか。
難しい「HTMLタグ」を使わないで、用意されている「ブロックタイプ」を上手に活用することがまず第一です。

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聖書と「わたしはある」


ポット灯りがついて生まれる。ポット灯りが消えて死ぬ。
ロウソクの灯で見ていると、そうなる。ロウソクの灯は束の間の明かり。
ところが、よく見ると、その消える灯に消えないものがあった。
それが見えないのは、わたしの内に光がないためだった。

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