支配者と被支配者

強い者は弱い者がいるから強い者と呼ばれる。
勝者は敗北者がいるからこそ、勝者と呼ばれる。
合格者は不合格者がいるからこそ、合格者と呼ばれる。
つまり、一方がなければ、一方もない。
支配されるものがいなければ、支配者もいない。

上手くいっている社会には、支配者も支配されるものもいない。
腕力の強いものや弱い者はいても、支配者でも支配されるものでもないからです。
個々の違いは厳然としてあります。しかし、それは本来互いに補うためにある。
水が高いところから低いところに流れるように、力は強い者から弱い者へと補われる。
多様性こそが世界。多様性があるから、秩序もある。
支配者と被支配者という区分けを勝手に作ったのは、人です。
本来、違いはあっても区分けなどなかったのです。
それぞれがそれぞれの役割を担っていたのです。そこには上下もなかった。

勝ち負けにこだわる人は、その時点で、人を愛する心を失っている。
こんなことを書けば、大抵の人に非難されるに違いないと知りつつ書いています。

公明正大

公明正大に行われていることは少なく、公明正大に見せかけることは多い。
これは個人も組織も同じ。
このことに目くじらを立てないで、そんなものだと思っていた方が間違いがない。
どんな組織、個人でも、裏があるのが普通。臭いものには蓋がされている。
臭いものほど見事に美しいもので包み隠されている。
その暗部を突かれると困ってしまうのは、ひょっとして全員かもしれない。
だから、必死でばれないように心掛けている。
人は勝手なもんで、自分も公明正大でないのに、なぜか他人にはさらなる潔癖さを求めようとします。
おかしなことですが、またこれも、そんなもんだと思っていた方が間違いがない。

内部告発は恐い。表に出してはいけない部分が外に出てしまうと、会社なら社運に影響することもある。
一個人にしても、心の葛藤があります。出てくるものを理性で抑えている場合も多く、ストレスがたまってくる。
抑えが効かなくなって爆発することもあります。場合によっては、違法行為になることもある。
自分に正直に生きるなら、結局、悪く生きることになってしまうんじゃないかな、とさえ思えてきます。
自分の愚かさを知っているなら、簡単に他人を馬鹿な奴だとか言えなくなると思うんですが。

違っているかな?

宇宙

宇宙に果てはあるのだろうか?子供の頃、素朴に思った。
否。あるように見えるだけ。
あるように見えているのは、区切った空間、区切った時間でもって見ているからに違いない。
粒単位で見ているからです。これは、自分が粒だと、粒として見るからです。

実際には、区切られたものなんかないと思います。
なので、縦もなく横もなく真ん中もない。距離もないので、広がりもない。重さもない。
宇宙は決して器のようなものではない。
無限とも異なります。無限は単に有限の延長にすぎないから。
時間と空間を感じる世界に今いるのに、このことに少し納得している自分がいます。
宇宙を見ると、いつも不思議な念に駆られる。

こんなことを書くと、頭がおかしい奴だと思われるだろうな。
実際にのところ、頭がおかしいんだから、しょうがないでしょ。

記憶の保存場所

記憶は脳の中にあるというが、実際に見た人、読んだ人はいない。
もし、HDDのように磁気保存されているのであれば、その人の記憶を誰でもが見れることになるでしょう。
しかし、記憶というのは物質的な脳にはないと思います。確かにその部位を通して映像化されてはきますが。
記憶は物質的というより心的なものだと思います。なので、いくら脳を分解しても出てこないと思います。
おそらく目に見えないところにあるに違いない。と言うのも、人はすべてが見えているわけではないからです。
見えている部分は表面だけです。
見えるというのは、心あって起きることです。唯心論に近い。ただ、その心にも色々あります。物質的なものもあるんです。
有史以来のすべての出来事は、きっとどこかに保存されているに違いない。ただ、それを垣間見ることができる人はが少ないだけで。
こんなことを書くと笑われるに違いないが、私にはその方が納得できるんです。

概念について

「概念」の概はおおむねです。
つまり大体(だいたい)です。

人の言葉は概念でもって語ります。大体(だいたい)で語っている。
大体でもって語っているのだから、大体で聞いていればいい。
大体で語るから、たとえ言語が違っても会話が可能となるんです。
大体がいい。あまり正確に定義しようとすると、どうしても漏れるものが出てくる。
あいまいなものに、大事なものが含まれている気がします。厳密に定義してしまうと、大事なものが失われてしまう。
あいまいなものをあいまいなままで伝えるからこそ、大事なものが失われない。
聞く者もあいまいなものとして聞けばいいのだが、あいまいさに文句を言う人がたまにいる。
誤解してしまうからだ。言葉が独り歩きしてしまうことがあるからだ。
大体なんだから、そうムキになることはないのだが、ケチをつけたがる人は多いのには困ったもんです。
文句を言う人は、根っこから文句の言いたがり屋さんです。攻撃的。
元々が大体なんだから、大体でいいんじゃないですか。
ファジーをあえてクリアーにする必要はないと思うんですが。

最近、言葉面を捉えたものが、ニュースになりすぎる。おかしなもんだ。

木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」という言葉がある。逆もあります。

例えば、人を細胞単位でばかり見ていると、人間像が見えてきません。
それなら、どの単位で見ればいいかというと、普段見ている単位が最もわかりやすい。
細胞単位では、何が起きているか分からない。自分の体のことでさえよく知らない。
つまり、分かりやすいものは、分かりにくいもので構成されています。
このことは大事です。このことを知ることが大事です。知らないことはあまりにも多いからです。
人の体に住み着く菌や虫、それぞれ勝手に動いているようで、全体のためにもなっている。
全体のためではなく、全く自分だけのためだけに働くようになると、癌細胞のようになってしまいます。
本来、個は全体のために動いています。気づきにくいだけです。

気づきにくいが故に、自分が果たして全体のために動いているのか、それとも癌のように動いているのか判別できません。
突然、全体のために動いていたものが、自分だけのためへとスイッチが切り替わることもあります。
しかし、その切り替わったこと自体、自分では気づけない。
見る人が見れば分かりますが、本人には分からない。そういうものです。
実に厄介です。
元々知らなかったものが、変に知るようになった時、こういうことが起きてしまう。

理解するとは

相手のことをよく理解しなさい、と言われることがある。
人を理解するというのは、ある程度分かっても、それ以上は分からない部分が出てきます。
人は顔形が異なるように、違うからです。つまり、理解できない部分がある。
これは、当然なんです。
理解しようとすること自体があまり意味がないというか、理解を拒んでいる。
理解するのではなく、「認める」ということが大事です。そのままを認めるということが。
考え方なんかは、いくらでも変わる。適当な衣服を身に着けているようなもので、信用に足るものではない。
ここで言っているのは、当てにならない「考え方」のことではなく、その人のそのままを認めるということです。
理解するとかしないとか言う以前の問題です。
理解するという行為は、ある型にはめてしまう作業を伴うので、どうしても元々の姿が見えなくなってしまうのです。
人は何でも型にはめたがります。しかし、はめられないのが人なんです。

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限界は超えられるか?

宇宙や自然について語るとき、客観的に語ろうとします。
しかし、私はその自然とか宇宙の真っただ中に今いる。
つまり、客観以上のものがある。単なる観測者に留まらない。
その影響を受けているものが、その影響を物差しでもって計ろうとしているのです。
果たしてこれは可能であろうか?
答えは否。恐らく、答えは相対的。絶対ではない。
アインシュタインの相対性理論とよく似ています。
観測者は、全く別の場所から見ているわけではないからです。
場は適当に変えられる。仮想で。そして、どの場所から見ているかで答えも変わってしまう。つまり、相対的。
人は絶対的な場所から見ることなどできるのだろうか?
果たしてそんな場所などあるのだろうか?
昔から抱き続けている素朴な疑問です。

PayPayまた落ちた

PayPayの審査にまた、落ちた。
授業料前払いとか、実店舗がない(自宅で営業している)とかの理由ではないのかなと勝手に想像している。落ちた理由が開示されないので不明ですが。
PayPayアプリや残高も持っているが、気分悪いので解約しようと思っている。

とは言え、まったくキャッシュレスに対応していないというのも困ったもの。
なので、せめてクレジットカードぐらいは取り扱いできるようにしたいと、Squareに申し込んでみた。
すると、ここはすぐ通った。ビックリ。審査しているのかなという感じです。一日もかからない。すぐに、カードリーダーとステッカーを送ってきた。
ただ、JCBについては別途審査があるらしくて、いまのところ、審査中です。
一応JCBカードも持っているが、ほとんど使ったことがないので、どういう結果になるやら?
Squareは今のところ、VISA/JCB/AMEXなどのクレジットカードには対応していますが、電子マネーやQRコード決済には対応していない。
いづれ電子マネーには対応する予定があるようですが。

実際のところ、どちらに転んでもそう影響があるわけではないんですが、ちょっと普通の店舗並みでありたいと思う浅はかな自分がいるんです。

Squareカードリーダー
Squareカードリーダー他

考えること

人は意味や価値を探そうとします。
しかし、そんなことを考える前から生きているのに。

人はくだらないと決めつけたり、おかしいなどと言います。
しかし、人はそう言う前からそうしています。

人は法則を探したがる。
しかし、法則を見つける以前から、それらはあります。

人は考える。
しかし、考える以前から人はいる。

考えることが人を狂わせている。そして、狂気に走る。

果たして、人は正しく考えることはできるのか?
殆ど「否」。しかし、「諾」が全く不可能というわけではない。

一体、何のことやら? 考えることを考えてみた。

究極のバックアップ術

大げさなタイトルですが、中身はたいしたことありません。
ここで言いたいことは、以下のことだけです。

  1. ファイルのバックアップは、結局、チマチマと手で行うのが最も確実。
  2. オンラインストレージ(〇〇クラウド)よりも外付けHDDがよい。かかる時間も速い。私の場合は、数台分のPCファイルをまとめて簡易NASにバックアップしています。
  3. 「バックアップ元A」→「バックアップ先B」への一方通行のコピーがいい。
    不要なファイルまで蓄積されますが、ファイルを失うことよりはましです。
    下記の画像は「SyncWith」というフリーソフトを使用したものです。同期もできるし、B→Aも可能です。少し時間がかかりますが、チマチマよりましです。
  4. 重要なのは自分で作成したファイル。OSやアプリは後で何とかなります。
  5. ネットと切り離して、バックアップ用の外付けHDDで管理するのが一番安全です。そう思いながら、NASを利用している。楽なんで。
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