理解するとは

相手のことをよく理解しなさい、と言われることがある。
人を理解するというのは、ある程度分かっても、それ以上は分からない部分が出てきます。
人は顔形が異なるように、違うからです。つまり、理解できない部分がある。
これは、当然なんです。
理解しようとすること自体があまり意味がないというか、理解を拒んでいる。
理解するのではなく、「認める」ということが大事です。そのままを認めるということが。
考え方なんかは、いくらでも変わる。適当な衣服を身に着けているようなもので、信用に足るものではない。
ここで言っているのは、当てにならない「考え方」のことではなく、その人のそのままを認めるということです。
理解するとかしないとか言う以前の問題です。
理解するという行為は、ある型にはめてしまう作業を伴うので、どうしても元々の姿が見えなくなってしまうのです。
人は何でも型にはめたがります。しかし、はめられないのが人なんです。

最近、一番気になることは、ナショナリズムが日増しに強くなっていることです。
これは、戦争の兆候を示しています。
知識人やマスコミなどが、こぞって駆り立てている。恐い感じだ。
そして、私達は知らず知らずのうちに、その流れの中に巻き込まれています。
反対意見が言いにくい状況になってきている。
戦争ってこうして起きるんだ、ということを今まさに、目の当たりにしている。
多様性こそが世界です。一つの考えで他に押し付けていいものではありません。
たとえ正しいと思っていても、実際にはそうでないことって、本当に多いんです。
今、危険な状況にあります。

また、偉そうなことを書いてしまった。申し訳ない。