
意見の相違はあっても調整は可能です。
調整できない場合というのは、根底に憎しみや利己心がある場合です。
憎しみがありながら和解しても、また、噴き出してくる。そういう和解は禍根を残します。
調整には我慢が必要です。互いに意地を張ったままでは調整できないからです。
我慢は苦痛ですが、苦痛なしで解決しない。苦痛なしで新しいものは生まれない。
憎悪に任せるのは、最も安易なやり方。安易なことでは何も解決しない。
たとえ表面が変わっても中身が変わらなければ、結局同じことを繰り返すだけ。
TEL.0771-24-4615
〒621-0843 京都府亀岡市西つつじヶ丘大山台2-4-5
モルモットパソコンのサイト管理人のブログです。
日常の中で感じたことを徒然なるままに書いてみました。

意見の相違はあっても調整は可能です。
調整できない場合というのは、根底に憎しみや利己心がある場合です。
憎しみがありながら和解しても、また、噴き出してくる。そういう和解は禍根を残します。
調整には我慢が必要です。互いに意地を張ったままでは調整できないからです。
我慢は苦痛ですが、苦痛なしで解決しない。苦痛なしで新しいものは生まれない。
憎悪に任せるのは、最も安易なやり方。安易なことでは何も解決しない。
たとえ表面が変わっても中身が変わらなければ、結局同じことを繰り返すだけ。

専門家会議の議事録の有無ってそんなに大事なのか?
専門家の意見は色々違って当たり前。異なる意見をうまくまとめたものに価値がある。
実際、上手にまとまっていた。それでいいのでは?
議事録がなかったら何が困るの? 後で何を検証したいの?

時は「ある」というものでなく、「感じる」というものです。
今日があり、明日があると言いますが、今日と明日の境はないからです。
人は意識で時を感じるようになっていますが、時を区切るのは人の頭です。
今日の連続が明日であって、その切れ目はない。流れている。
人は時を感じて生きるようになっています。そういう特性を持っている。
今日したことが明日につながっている。連続していて切れ目はない。
今日が明日を創っていきます。未来は今日の中にある。
今日何をするかが最も大事なことで、明日は明日が考えてくれます。
「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、そんな感じです。
今の瞬間が次の瞬間を決めている。そんな感じです。
頭でいくら考えても、未来など分かりっこない。そんな空想に時間をかけるより、今日を生きることの方が大事です。
先に明日を考えてどうするのか? 極端な話、明日生きているかどうかも分からないのに。

原因というのはいつも分かりにくいものです。
というのも、結果があってから原因を探ろうとしますが、その場合、頭を使ってひねり出そうとするためです。
頭でひねり出した結論は、真実かどうか分かりません。
ひねりだした原因は単に蓋然性にすぎない。後から導き出したものは、やはり、後のものでしかないからです。

日本では、医療崩壊が起きなかったと言われています。
だが、十分な治療を受けられたならば、救えたであろう命はあったと思います。
私の住んでいる京都府では、感染者数358人に対し死者数は15人です。死亡率4.19%。
また、福岡県では感染者数662人と多いですが、死者数は26人。死亡率3.93%。
ここでは、京都府や福岡県では、十分な治療が受けられていたと一応仮定しておきます。

嘘でも100回も200回も聞いていると、本当になってしまう。
妙な音楽や歌でも毎日聞いていると耳に馴染んでくる。
学校で教えられると、それが正しいものとなる。
皆がそうしていると、それが正しいものとなる。
最初からそこで暮らしていると、そこの文化に自然と馴染んでしまう。
人は、置かれた環境に適応していくもの。動物やウィルスもそう。

色々と批判されていますが、個人的には、専門家集団は大変役に立っていると思っている。
たった一人では往々にして独りよがりになりがちですが、専門家集団ではそれがうまく調整されてまともになっている気がします。

Be strong,but be kind.
これは、ニュージーランドのアーダーン首相の言葉です。
【以下は私なりの解釈】
勝ち負けの強さでもなく、ひ弱なやさしさでもない。
本当にやさしくなるには、強さも兼ねていないといけない。
強さとやさしさは、本来一つでないといけない。
日本の現状を見ていると、強さ、やさしさが本来のものと違っているような気がしてなりません。
「Be strong,but be kind.」が、根底にあってこそ、そこから的確な方法や手段が生まれるに違いない。
全てはそこから始めるべきです。
国民の信頼度90%のアーダーン首相の言葉には心にひびくものがあります。
【参考】5月9日京都新聞の記事
私はウィルスの知識も感染症の知識も全く持っていない。ましてやコロナの知識もほとんど持っていない。
以下は、全くの素人の感想なので、適当に読んで頂きたい。

新型コロナの出来事を通して、人の本来の姿があぶりだされ、大写しで見ることができました。短編映画のように。
普段オブラートで包まれていたものが剥がされて、よりはっきりとした形で現れた。
未知なるものに対しては、人は無力。ただ、右往左往するだけ。
何が起きているのか理解できないので、何が正しいのかも分からない。専門家も分からない。
そして、知らない者同士が互いに批判して憎しみあう。責任を擦り付けあう。デマをまき散らす。不安を煽る。自分だけが正しいと主張する等々。まとめて噴き出してきた感があります。
これこそが人の本性。それが新型コロナを通し、凝縮した形で浮彫にされて現れたように感じる。見せられているような気がしてならない。
新型コロナで分かったことと言えば、密なところで感染しやすいということぐらいだった。
なので、対策と言っても「恐いものに近づくな、離れろ」という元々すべての動物が本来持っている本能に近いものだった。
そして、今回、それが一番功を奏した。不安をあおる報道が恐怖を募らせ、その結果、自粛効果が増幅されたという事実は皮肉なものだった。
他に役立つ知識はあまり無かった。過去の学習は殆ど役に立たなかった。未知なものは未証明であるが故に。
今回を特別な一時期と捉えるのではなく、普段の状況が浮き彫りにされたと捉えるべき。
何故なら、いつも日常で起きているからです。ただ、普段はオブラートで包まれていて気づきにくいために助かっていたにすぎない。
人の本性が透けて見えた。しかし、今後も変わらないだろう。

どう思う?