議事録はいらない


専門家会議の議事録の有無ってそんなに大事なのか?
専門家の意見は色々違って当たり前。異なる意見をうまくまとめたものに価値がある。
実際、上手にまとまっていた。それでいいのでは?
議事録がなかったら何が困るの? 後で何を検証したいの?

個別の意見は、往々にして偏りが多いもの。専門家集団だからうまく調整できたと思う。
それぞれタイプが違うのに、よくまとめられたなと感心する。相当苦労されたと思う。
意見の調整って大変です。自分の意見が反映されないことも出てくる。その一つ一つ細かなやり取りを記録することにどれだけ意義があるのだろうか。

クラスター班の分析結果をベースにして、専門家会議で検討が行なわれ、それに基づいて、政府が政策決定を行っています。
分析結果をどう捉えるかで対策が異なってくる。判断が分かれる中での調整は大変だと思います。100%確実というのはないんですから。
政策決定に不満がある委員もおられるかもしれない。
ただ、政策は政府の責任であり、専門家会議の責任ではない。
例えば、緊急事態宣言の解除の時期などについては、各委員の間でもかなり意見が分かれたと思います。

調整過程について知りたければ、押谷教授や尾身副座長に聞いたら分かるんではないんでしょうか。外部の人なんだし。
もし政府の圧力のようなものがあったとしたら、そこで分かるでしょう。隠せるようなことでないんだから。
良識のある専門家なら、こと細かにしゃべると他の委員の方に迷惑をかけることもあるので、内容によっては、ぼやかされるでしょう。それが普通です。

透明性がいいこともあれば、そうでない場合もあるんです。プライバシーのように微妙なところがあります。
こそっと他人の悪口を言ったことが公になると問題が大きくなることだってよくあります。
あまり厳格にすると、自由にしゃべればくなるし、冗談も言えなくなる。
録音すればいいと言う人がいるが、デリカシーのかけらもない。犯罪証拠扱いだ。
Aさんがこう言った。Bさんがこう言ったという個々の記録は、後日、その人が名誉を挽回したい時には役立つが、逆の場合も有り得る。

私なんかは、できあがった作品が良ければ制作過程は気にしない。作品が悪いと作者(専門家会議と政府)がおかしいと思うだけで、個々の委員を絶対責めたりしない。
それぞれの意見は異なって当然。調整結果がすべてだと思っている。

専門家の皆さんレポートを持ち寄って検討しておられるのでしょうから、大体の記録は残っているはずです。また、各自のレポートは各自で保管しておられるでしょうし。

議事録が有っても公開しない方がいい時もあります。人々を混乱させるから。特に今は。
議事録の有無で、鬼の首をとったように騒ぐのは、異常としか思えない。故意まで感じてしまう。混乱を望んでいるとしか思えない。
こういった方は、すべて裸にして見せてもらわないと満足できないのでしょう。
まあよく足を引っ張りたい人がいるもんだ。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というのは、このことか。見ていて悲しくなる。
このように感じるのは、私だけなんだろうか? 
もしかして、私の頭がおかしいのだろうか?