分断と協調


意見の相違はあっても調整は可能です。
調整できない場合というのは、根底に憎しみや利己心がある場合です。
憎しみがありながら和解しても、また、噴き出してくる。そういう和解は禍根を残します。
調整には我慢が必要です。互いに意地を張ったままでは調整できないからです。
我慢は苦痛ですが、苦痛なしで解決しない。苦痛なしで新しいものは生まれない。
憎悪に任せるのは、最も安易なやり方。安易なことでは何も解決しない。
たとえ表面が変わっても中身が変わらなければ、結局同じことを繰り返すだけ。

米中、日韓、日中も調整されないといけない。しかし、根底に憎悪がある限り調整できない。
まず憎悪や利己心を消し去ること。これがまず大事。
互いの認識の違いは解決可能ですが、憎悪や利己心があると難しい。心の方が根深いためです。
世の中には、問題はたくさんある。問題は問題として解決していかないといけない。
しかし、力で解決しても憎悪が高まるだけ。解決したことにならない。
批判はあっても、憎悪からくる批判はあってはならない。憎悪は分断を招くだけ。
敵味方という分断をなくさないといけない。
攻撃は攻撃を生む。憎しみや恨みが増幅し、解決がどんどん難しくなる。

今、憎悪が蔓延しているように思えます。発言にとげがある。コロナのように。
人格を否定したようなパワハラ発言が多い。

敵味方を作って混乱させて何が楽しいのか。人を無能だとか馬鹿だとか罵倒して何が楽しいのか。これこそが根本悪だと何故気づかないのか。
肌の色が同じもの同士でも、アメリカの人種差別と同じようなことが起きているではないか。
汝の敵は、まさに、汝自身の内にある。

友達同士なら意見が違っても喧嘩にはならない。「俺はこう思うけど」「そうかな」「違うんじゃない」といった程度で終わることがほとんど。
意見の相違があっても、信頼関係が根付いていると憎しみは生じない。
ただ、SNSでは、面と向かいあっているわけではなく、信頼関係もない。相手の気持ちが見えにくい。意見だけのやりとりだと、意見の相違が罵倒へつながりやすい。
国同士も同様で、まず交流が大事。面と向かわないと解決しない。

憎しみが消えたら、意見の相違なんかは大した問題ではなくなるでしょう。
心でつながらないと解決は難しい。これは、心の状況が頭の働きを左右するからです。頭で考える以前の問題を先に解決する必要がある。
一人ひとりの心の内に、分断と協調が共存している。いかに協調部分を増やして、分断部分を縮小するかにかかっている。