感染すれど重症化せず


正確に言うと、感染しても重症化する割合が非常に少ない。
これが、今回のウィルスの特徴のようです。
病院の受け入れ体制が整ってきたからだ、という理由ではない。
この事実を公に言うと、コロナを軽視しているかのようにとられかねないので、言い出しにくいところがあります。
上層部もそれを知ってか、対策がのらりくらりしている感じがします。

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田舎と都会のコロナ意識


今のところ、コロナ感染を完全に防ぐことはできません。
なので、現在は、医療体制を万全にして、重症者があふれて医療崩壊を招かない範囲で、経済活動を維持していこうとしています。
しかし、放っておくと、感染者は確実に増えていく。今のところ重症者・死者の数は少ないが、爆発が重なると、コントロール不能に陥り、検査すら役に立たなくなります。
「重症者の数が少ないから、たとえ感染者の数が多くても問題はない」という考え方は結果論であって、明日を決めるものでない。

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空虚

人は、「生きる意味があるのか」とか、「生きる価値があるのか」とか考えたりします。
私はこういったことを考えること自体に意味も価値も感じない。
何故なら、そんなことを考える前に、既に生きているからです。
犬や猫や幼子などは、そんなこと考えない。しかしそれでも、生きています。
それでいい。

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ファジーな世界のファジーなわたし


私はボヤ―としたものが好きです。頭が論理的にできてないからだろう。
近づいたらボヤーとしているのですが、遠くから見ると白と黒に見えてしまう。
アナログ世界なんだが、自分の立ち位置によっては、デジタル世界として映ってしまう。
「ぼんやり」と「はっきり」とが分かれているのではない。二つあるわけではない。
一つのものが、視点の位置によって、二つのように見えてきたりする。

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差別について


殆どの人が、差別と言ってもピンとこないもの。体験してみないと分からないから。
差別がいけないと語ることは簡単ですが、実際に遭遇すると、そう簡単でないことが分かってきます。口では、立派なことはいくらでも言えます。
おかしなことですが、差別を知ると、逆に、差別をし始めるということがよく起きます。
何も知らなければ、差別なんかなかったのに、知ったがために急に意識して差別が始まるということがあります。
つまり、波の立っていないところに石を投げると、波が立ってくる。
頭はおかしな方向へ導くことが多い。知識は、差別化の傾向を内包している。
「知ること」と「分かること」では、気が遠くなるほどの差があるんです。

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縄張りと防御


動物は、テリトリーとか防御領域をつくって、それを守ろうとします。
犬や猫、鳥なども縄張り意識があります。
人も同様です。他人が土足で自分の家に勝手に入ってこられるのを防ごうとします。
皆、自分や家族を守ろうとします。
肉体もウィルスなどから身を守ろうとします。防御する。自分の意思に関わりなく。
自分の領域に必要以上に入ってこられると、熱い戦いが始まり、殺し合いが始まります。
つまり、相手の領域を侵してしまうと大変なことになる。
領域が集まって、村があり、またそれらが集まって国がある。国には守るべき領域があり、防御機能を構築しています。

自分のものがあるから、それを守ろうとします。
犬は、私が食べ物を持っていると、しっぽを振って欲しそうにします。
つまり、この段階では、犬はその食べ物は私のものだと認めています。
そして、犬にそれを与えると、その瞬間、それは犬のものになってしまいます。
渡したものを私が奪い取ろうとすると、ウーと唸ってきます。
人に対し愛着がない熊などは、状況によって直接人から食べ物を奪うこともあります。
知識の少ない幼い子供でも、いったん与えると自分のものだと主張し、返すのを渋ったりします。

人も犬もそうですが、特に害のない人であれば、自分の家に入れることをそう嫌がりません。
私の子供の頃は、家に鍵をかけるおうちなどなかったが、今は鍵をかけるのが当たり前になっています。それほど物騒な時代になってきたと言えます。
徒然草には、竹で作った垣根があったことが記載されています。
ただ、鍵をかけない人でも、自分の心の中まで土足でずかずか入ってこられるのは嫌なものです。

礼儀や作法というのは、こういった互いの領域を尊重することから生れてきたのだろう。それが潤滑油のように機能していた。
孔子や仏教が受け入れられたのも、その素地が既にあったからだと思います。
昔は法律ではなく、「教え」が浸透していたのではないでしょうか。
権利という概念は、明治時代に西洋から入ってきたのだと思います。

今や法治国家ということで、少し知識のある方だと、何でも憲法や法律に照らして物事を判断しようとします。
しかし、大事なことは、いつも法律以前のところにあるということ。
権利権利と主張して、裁判で表面上決着したとしても、しこりは消えない。差別問題なんかは特にそうです。
そのことが、今、表面化している。
心の問題は法律で規制できない。出てきた問題を叩くことはできても根本解決に至らない。根が深いんです。

「考え方」は衣服のようなもの


桜は桜の花を咲かす。梅は梅の花を咲かす。
桜が梅の花を咲かせたいとは思わない。
しかし、人の場合はそうでない。
その人はその人の花を咲かすことができるのに、他の花にあこがれたりします。
余計なことを教えられたり、余計なことを考えたりすると、自分自身を見失ってしまうことがある。
人は本来、皆、天才なんです。2~3歳の子供を見ていると、特にそう思います。
天才とは、その人固有の花を咲かせることです。賞とは全く無縁です。

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