コロナで見せられたもの

浮彫

新型コロナの出来事を通して、人の本来の姿があぶりだされ、大写しで見ることができました。短編映画のように。
普段オブラートで包まれていたものが剥がされて、よりはっきりとした形で現れた。
未知なるものに対しては、人は無力。ただ、右往左往するだけ。
何が起きているのか理解できないので、何が正しいのかも分からない。専門家も分からない。

そして、知らない者同士が互いに批判して憎しみあう。責任を擦り付けあう。デマをまき散らす。不安を煽る。自分だけが正しいと主張する等々。まとめて噴き出してきた感があります。
これこそが人の本性。それが新型コロナを通し、凝縮した形で浮彫にされて現れたように感じる。見せられているような気がしてならない。

新型コロナで分かったことと言えば、密なところで感染しやすいということぐらいだった。
なので、対策と言っても「恐いものに近づくな、離れろ」という元々すべての動物が本来持っている本能に近いものだった。
そして、今回、それが一番功を奏した。不安をあおる報道が恐怖を募らせ、その結果、自粛効果が増幅されたという事実は皮肉なものだった。
他に役立つ知識はあまり無かった。過去の学習は殆ど役に立たなかった。未知なものは未証明であるが故に。

今回を特別な一時期と捉えるのではなく、普段の状況が浮き彫りにされたと捉えるべき。
何故なら、いつも日常で起きているからです。ただ、普段はオブラートで包まれていて気づきにくいために助かっていたにすぎない。
人の本性が透けて見えた。しかし、今後も変わらないだろう。

想定外?

パソコンにウイルス対策ソフトをインストールしていても運悪く感染することがあります。
次々と新種のウィルスがつくられるからです。
ウィルス対策ソフトを使用すると、過去のウィルスについては学習していますので、かなり防御できます。
しかし、新しいウィルスが出てくると、感染を防げない場合があります。
これは、最初に被害を被って、それを学習した後に、それを殺すワクチンがつくられるからです。時間差があります。
防御しても防御してもそれを破ろうとして新ウィルスが造られていく。
今起きていることに対し、過去の学習が役立たないことがある。
新型コロナもそうです。
そういったことが起きると、よく想定外と言ったりします。

想定外の津波、想定外の地震とか言われますが、正確に言うと、どんな地震も津波も想定外です。また、それがいつ起こるのかさえ誰も知らない。
全く同じパターンというのはないからです。学んだことがそのまま役立つことは少ない。また、忘れることもある。

一刻一刻が想定外というのが真実。二度同じことが繰り返されることはない。
同じことのように見えても全く同じではなく、単にパターンが似ているだけです。
パターンが似ている場合に想定内と言っているだけで、厳密にはすべて想定外。
毎日同じ生活を繰り返している、と言っても、全く同じではないのと同じです。

一刻一刻が「未知との遭遇」