権利について

権利というのは、元々ありません。
単に知性によって考え出されたもので、法によって権威づけ、保障したものにすぎない。
自然法と呼ばれるもの、これも同様、元々ありません。
法によって権威付けをし、それを国民が認め、有難がられている。紙のお札と似ている。
法に対する国民の信頼が失われると、権利の効果も失われます。
何よりも人同士の信頼が一番大事。それが崩れると、決めごとはすべて崩れます。

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縄張りと防御


動物は、テリトリーとか防御領域をつくって、それを守ろうとします。
犬や猫、鳥なども縄張り意識があります。
人も同様です。他人が土足で自分の家に勝手に入ってこられるのを防ごうとします。
皆、自分や家族を守ろうとします。
肉体もウィルスなどから身を守ろうとします。防御する。自分の意思に関わりなく。
自分の領域に必要以上に入ってこられると、熱い戦いが始まり、殺し合いが始まります。
つまり、相手の領域を侵してしまうと大変なことになる。
領域が集まって、村があり、またそれらが集まって国がある。国には守るべき領域があり、防御機能を構築しています。

自分のものがあるから、それを守ろうとします。
犬は、私が食べ物を持っていると、しっぽを振って欲しそうにします。
つまり、この段階では、犬はその食べ物は私のものだと認めています。
そして、犬にそれを与えると、その瞬間、それは犬のものになってしまいます。
渡したものを私が奪い取ろうとすると、ウーと唸ってきます。
人に対し愛着がない熊などは、状況によって直接人から食べ物を奪うこともあります。
知識の少ない幼い子供でも、いったん与えると自分のものだと主張し、返すのを渋ったりします。

人も犬もそうですが、特に害のない人であれば、自分の家に入れることをそう嫌がりません。
私の子供の頃は、家に鍵をかけるおうちなどなかったが、今は鍵をかけるのが当たり前になっています。それほど物騒な時代になってきたと言えます。
徒然草には、竹で作った垣根があったことが記載されています。
ただ、鍵をかけない人でも、自分の心の中まで土足でずかずか入ってこられるのは嫌なものです。

礼儀や作法というのは、こういった互いの領域を尊重することから生れてきたのだろう。それが潤滑油のように機能していた。
孔子や仏教が受け入れられたのも、その素地が既にあったからだと思います。
昔は法律ではなく、「教え」が浸透していたのではないでしょうか。
権利という概念は、明治時代に西洋から入ってきたのだと思います。

今や法治国家ということで、少し知識のある方だと、何でも憲法や法律に照らして物事を判断しようとします。
しかし、大事なことは、いつも法律以前のところにあるということ。
権利権利と主張して、裁判で表面上決着したとしても、しこりは消えない。差別問題なんかは特にそうです。
そのことが、今、表面化している。
心の問題は法律で規制できない。出てきた問題を叩くことはできても根本解決に至らない。根が深いんです。