この世の命のはかなさ

この世の命は、はかないものです。
戦争もそうだが、いろんなところで、人の命は簡単に失われています。
「人の命は地球より重い」と言われますが、滅茶苦茶、軽く感じます。
実は、「この世の命」は、軽くて薄っぺらというのが本当なんです。

正直に言うと、自分の命だけは特別重く感じ、他人の命は軽く感じてしまうんですね。
実際、口で言うほどに人の命を大切にしていない言動をよく見かけます。
言っていることと、していることが全く違う、偽善でダブルスタンダードな世界です。

死んだらすぐに忘れ去られる。これは事実。この世は生きているものの世界だから。
薄情な世界というか。
この世の命は風前の灯。一寸先は闇。自分だけは大丈夫だと思って生きています。
夢中になっている時は、死など意識しません。でもふとした時に噴出してくる。

この世の命は、はかない。
しかし、その命をよくよく見てみると、滅ぶことのない永遠の命が見えてくる。
重たい命とは、この滅ばない命のことだった。

表面上の相(そう)や色(しき)だけを見ていると、見逃してしまう。
見て、何を見るかによります。

万物は流転する

表面上、変わりやすいものと変わりにくいものとがあります。

  • 変わりにくいものは、「昼と夜の交代」のように、法則化しやすい。
  • 変わりやすいものは、「心」のように、法則化しづらい。

昼と夜の交代‥‥‥‥‥法則的

昼と夜の交代は、地上では当たり前ですが、宇宙には、交代しないところもあります。
地上において当たり前なことが、全ての場所においてもそうであるとは限らない。
地上では、日々、似たようなことが繰り返されているので、生活が成り立っている。
厳密には全て変化していますが、見た目で、あまり変わらないものがあるおかげで、生活が成り立っている。

心     ‥‥‥‥‥自 由

人の意思は結構自由なので、法則化しづらい。
人によって傾向性というものはあるだろうが、右を選ぶか左を選ぶかは、思い付きで決めることも多く、当てになりません。
自由意思があるから人は生きていると感じている。意思でものを支配することで。
人は変わりやすい自由意思でもって、変わりにくいものを動かして、変更を加える。家を建てたりするように。
人だけでなく、動物や昆虫も同じように、変わりにくいものに変更を加えて、自分の生活をより快適にしようとします。変わりにくいものがあるから助かっている。
心はものから生まれるのではない。本来、心がものを支配するのであって、心がものに支配されてはいけないのです。そうでないと、真に自由にはなれない。

厳密には全て変化しています。だから、突然、家が倒れたり、地震が起きたりすることもある。反日常が起きるとパニックに陥る。
想定外が起きると、当たり前が崩れることもある。法則の見直しが必要となる。
表面しか見ていないと、いつ、どういうことが起きるのかを把握するのは難しい。

全ては最初から動いている。力を加える前に動いている。万物は流転しています。
これは物理学ではありません。ものの理(ことわり)です。

表面上、止まって見えるものもありますが、これは、そういう領域(場)に人が住んでいるためです。
その場に入ってしまうと、認識や能力は、ある範囲内でしか捉えることができないために、止まっているとしか思えない。
変わりやすいもの、変わりにくいものといった捉え方も、その場にいるために、そのように認識されるのです。
ちょっと信じがたいですが、私にはどうもそんな気がしてならない。