聖書と世界


聖書に描かれている世界には大きく分けて三つあります。

  1. 人が造られる前の世界
  2. 人が造られて、人が天上にいる時の世界
  3. 人が地上に堕ちてからの世界
     

今の私達は、3.しか知らない。1.と2.を知らない。
1.2.3.と上から下に降りていく。
もちろん、上とか下は、たとえであって、物理的な上下を示すものではない。

イエス一人だけが、上に上げられた人として書かれています。
イエス一人を知って、全て推し量るべしということです。
それに続けということです。

1.と2.の世界は通って来たものでないと分からない。
通ってきても、通って来たことを知らなければ、通って来たと言えない。
通って来たことを知って、初めて通って来たものとなる。
遣わされても遣わされたこと知らなければ、遣わされたものとならない。
知らなかったことを知らなければ知ったことにならない。
ここに難しさがある。既に知っていると、知っていることが邪魔をするからです。
何も知らなかった頃に戻らないといけない。しかし、それが難しい。
まず、すべてを捨てないといけない。捨てないと、信じることすら難しい。

天地創造以前、わたしが生まれた時、わたしはどこから来てどこに行くのか知らなかった。
闇があった。それを救うために光が入れられた。

自分が本当に何も知らないと気づいた時、敬虔になります。大いなる方、知っておられる方に導かれます。
知っていると思った瞬間、導かれなくなる。自分を神にしているから。