知性派がお好きですか?

知性的な人は冷たい人が多い。冷たいから知性派になれるのかもしれない。

色んな批評家やコメンテータは、確かに知性的ですが、概して愛情が薄いようにみえる。
他人を批判することは得意ですが、自分では何もしない。その言葉に愛がない。
逆に、愛情の深い人を見ると、知識を表立って現わされませんが、にじみ出てくる正義、真実を感じます。ただ、そういう人は数少なく、表舞台にも出てこない。
色んな考え方があるが、どれも一長一短。何が正しいか分からない。絶体でない。
自由な考え方が増えた分だけ、混乱も増えてしまう。
結局、知識は混乱を招く。絶体というものが無い。知識の捉え方は人それぞれだから。
世の中の混迷は、自由と分離からくる。
自由はいいが、ほとんど好き勝手に近いというのが、今の世の中。
個人主義が行き詰まっている。
所詮、自分が一番と思う心に、まとまりなど生じようがなく、分離と対立しか生れない。
こういう風にしたらいいと決めて、そうするものの、すぐにほころびが出る。
ほころびを直そうと変えていくが、それもまた続かない。また、ほころびが出る。
頭で考えたものに、まともなものはない。

何も知らなかった子供の頃の方が幸せだった。その場所しか知らなかったが、それが故に平穏に暮らせた。
都会に出てたくさん知って、田舎を馬鹿にしていたが、そうではなかった。
馬鹿にしていた方が馬鹿だった。
たくさん知ったように思っていたが、実は何にも知っていなかった。今はそう思う。
たくさん知った分、混乱が増えるだけ。比較対象が増えてしまい、自分を卑下するか、他人を馬鹿にして攻撃したりとか、不幸なことばかり起きてしまう。
何のために勉強したのだろう? 不幸になるためなのか。一体、知識など必要なんだろうか?
世界中のことや歴史や思想などたくさん知っても自己満足に過ぎないのではないだろうか?

どんなたくさんの知識も一つの愛に勝ることはない。
そして、愛から知恵が生まれる。

また暇に任せて好き勝手に書いてしまいました。反論も多いと思いますので、回答も致しません。