事実と判断

事実について

事実を言葉で表現した瞬間、事実から離れてしまう。
これは臭いや味を人に説明するのと似ている。
臭いや味を人に正確に伝えることはできない。「たとえ」を用いるしかない。
あの食べ物の味やあの匂いと似ているという風に。
言葉で正確に伝えることはできない。
事実について、これはこうだった、あれはこうだったとか色々と細かく説明しないと、相手に伝わらないが、全部捉えることは難しい。必ず漏れる。
その結果、一部だけが強調されてしまうことになる。これが恐い。
その瞬間においては事実の中にいるのですが、それを言葉で説明すると、説明しきれない。
事実というのは、その瞬間にしかない。後で語れない。
事実とはそんなもの。その時だけのものなのです。

判断について

不確かな事実を土台にして、どうすべきかの判断がなされます。
事実の捉え方によって判断が変わることがあります。
同じ事実認識であっても判断が異なる場合もあります。
個人差がある。
確かな判断というものはない。

事実で確かなものは無く、判断で確かなものは無い。
人の語る事実も判断も当てにならない。
そして、その不確かな事実や判断と行為が、自分に返ってくる。因果応報です。
思考の世界は、事実とは別世界。
人は考える動物であると言われています。言われてみれば、今の私もそうです。

しかし、考えなくても、瞬間、瞬間、生きていけるような気がする。
人は瞬間、瞬間に生きるのだと。
余計なことを考えず、考えること以前においてのみ、確かに生きれるものだと感じている。