一寸先は闇

一寸先は闇


大変な事故や災害に会った時などには、「一寸先は闇だ」と痛感します。
ただ、その時はそう思いますが、状況が回復すると、鈍感になってしまう。
「一寸先は闇」といつも思っていたら、何もできなくなるからです。
理屈や知識よりも、今を生きていく力の方が圧倒的に強い。
いつ起きるか分からないことについては、それほど気にしないようにできている。
毎日、習慣で反応していることが多いので、非日常なことが起きると、どうしてもパニックになってしまいます。

「一寸先は闇」も含め、一瞬先はいつも分からないものです。
今の一瞬はこうでも、次の瞬間はどうなるか分からないというのが、現実です。
これが人の置かれた状況です。頭の中では。
そして、そのことをいちいち考えないで生きているというのも現実です。
死ぬと知っていても、死ぬことをそれほど意識せずに生きているのと同じです。
肉意識・知識として死を恐れる部分とそうでない無頓着な部分とが共存しています。
ある程度、無頓着でなければ、生活できません。
知識や理屈通りに人が動いているわけではないんです。知らなくても動けるんです。
もし、知識や理屈が優先されたなら、逆にぎこちない動きになって、病気になってしまいます。知識は本当に恐いんです。

人は「一寸先は闇」とか「こんな不条理」とか言いますが、実際には、特別な時に限らず、常時そういうことは起きています。
目立たないから気づきにくいだけです。それを不条理と言うなら、すべて不条理になってしまいます。
人の言う条理・不条理なんて、人が勝手に考えて、勝手に判断基準にしているだけです。
一匹の蟻だって、明日は人の足で踏みつぶされるかもしれないが、今を必死に生きている。人も同じです。

戦争で次々と人が亡くなるのが、当たり前だと、生きていることの方が奇跡になってしまう。
人の言う不条理が当たり前になってしまうと、条理になる。
それを思うと、「今生きていることが奇跡」というのが、より真実に近いように思えてきます。
今、この時以上に大事なものは無い。次の瞬間はないかもしれない。

死など考えずに、無頓着に生きている方が幸せなんです。死は知識によるものですから。