複雑化した社会

ますます学問(科学や法律など)が細分化され、仕事の種類も細分化されてきている。
これは、前回の多様性とは異なるもので、人がそうしているのです。
そして、 この複雑さに、今や、人の頭はついていけなくなってきている。
ついていくためには、コンピュータのような機器を使う以外なくなってきた。
こうして、機器を利用せずして、この複雑化した社会を生き抜くことが難しくなってきた。
機器依存、AI依存の社会が生まれようとしている。
そうすると、機器の上手な使い方が重要となってくるので、自分で考えることは少なくなる。
機器の開発者は考えますが、使い手はひたすら使い方を覚えるだけでいいということになる。
こうなると、学校で勉強などする必要があるのか、ということにもなりかねない。
全部、AIが解決してくれるんですから。
これは極端なようですが、その方向に向かっているように思えます。

ミスが恐くなってきている。コンピュータの設計ミスやそれらを使うもののミスです。
「ミスをした!」で済まされない大きな事故になることすらある。命にかかわることもある。
なのに、このミスの責任意識というのは以外に薄く、責任の所在もハッキリしにくい。
ウッカリしていた、これは機器が悪いんだ、で済まされてしまう。これが恐い。

複雑化してくると、人は自然に、自分の頭で考えるのを放棄してきます。考えることはしんどいので。
次第に、専門家やAIや政治家にお任せするようになってきます。これが恐いんです。
専門家やAIなどがいつも正しければいいのですが、そうでない場合もあり得る。
ミスがあってもミスと知らされない場合もある。伝えられなければ分からないからです。
下のものは上のもののミスを自分で見つける力を持っていない。
高度化してくると、上と下の開きが大きくなってきます。知っているものと知らないものの差が大きく開く。
もし、知っているものが悪用したりすると、大変なことになってしまう。
例えば、ハッカーに勝つには、ハッカー以上の知識を持っていないと勝てない。最悪、ネットから切断するしかない。
知っているものの犯罪というのは、非常に巧妙で分かりにくいからです。
技術の進歩は、反面、危いところが多いものです。しかし、便利なことが前面に出されて、それらが覆い隠されてしまっている。
情報操作というのは、意外に簡単です。もうすでに、私達も洗脳されているもしれない。