不思議体験

私が実際に体験した不思議な出来事を記録したものです。
これは、20年前に書いたもので、体験はそれ以前のものです。
「旧奮戦記」にも書いていましたので、既に読まれた方がおられるかもしれません。殆ど修正を加えずに転記しています。
ちなみに、これを読んで信じていただいた方は今までに一人しかおられませんでした。

目覚め

朝、目覚める前の半覚醒時にこんなことがよく起こります。
すこしづつはっきりしてくる最初の段階では自分の名前や自分の居所が最初全く思い出せないのです。
出てくる映像は今住んでいる場所ではなく幼児期に親戚の家に泊まっていた時の部屋であったり、学生時代に下宿していた部屋であったりしますがすこしづつ現在の場所に近付いてきます。それとともに私の名前の苗字をすこしづつ思い出し覚醒前寸前には名前もようやく思い出します(実際には必死に思い出そうとしているし思い出すような力が働いていることを感じることが出来る)。
この経験を何度となくしていると、自分というのは本当は名前もなく居場所のない存在であり肉体とより緊密になるにつれ今の自分・今の場所に疑いのないようになり最後に完全に目覚めていくのではないかと思います。

透視について

47年以上前、会社の寮で生活をしていた頃のことです。
夕方友達とたわいもない話をしていた時でした。
突然、私は友達に「すぐに田舎の家に電話しなさい。大変なことが起きているよ!」と言いました。
なぜそう言ったのか私自身にも分かりませんでした。友達はなにをばかなことを言っているのかという顔をして全く気にもかけませんでした。
翌日の朝、私の部屋をドンドンたたく音がします。なにごとかとドアを開けると、そこにはその友達が青い顔をして私に言いました。
「昨日家で大変なことが起きた。父親が屋根から落ちて大怪我をした。なんで分かったんですか」というのです。友達はすぐに着替えて実家に帰りました。
これも偶然といえば偶然といて済まされるでしょう。こういうことが一度だけなら。
不思議なことは自分の意図とは関係なしに、なぜ突然そんなことを言ったのだろうかということです。 
自分以外の力(深層意識か第三者)が働いたのではないかと考えざるを得ないのです。
不思議な体験でした。

祈り・願いについて

これも私が会社員だった頃にあった不思議なことです。
私はバッジ(社章)を紛失してしまい大変困った時がありました。私の会社ではバッジと名札は大変重要なものでしたので、会社に始末書を提出して再発行を受ける必要があったからです。
どこに落としたか分からず何度探しても見つかりません。困り果てて、何とか出てきますようにと頻繁にお祈りを致しました。
3ヶ月ぐらいたった頃でしょうか会社への通勤途中、道端にキラリと光るものがあります。
なにかと見てみると何と!私のバッジではありませんか。あんなに小さなものが道端でそれも痛まずに残っていたのです。
たまたまの偶然でしょうと言われればどうしようもありませんが、私にとっては偶然とは思えない出来事でした。願い・祈りの力は大きいと感じました。

鬼について  

小学生の頃でした。
雨の降った日とかプールのあった日とかよく 転寝をしました。
目覚めの直前、突然天井に大きな鬼(鬼のようなもの)の顔が出てきました。
すると天井がゆがみ、傾き始めました。
目の前がくらくらしてるうちに私の体が転げ周りはじめます。家の柱に体をぶつけたりしているうちにようやくとまり鬼も消えてしまいます。
これも何回か経験していると同じパターンでおきるのですが、毎回怖い体験でした。

奇跡について 

小学生の低学年の頃だったと思います。
交差点で交通事故にあったことがありました。
私は自転車で思い切り飛ばして正面道路角にある家に帰ろうとしました。そのときオート三輪車が交差点右から突っ込んできたのです。
右の角には家が建っているので車に気がつかなかったのです。突っ込む寸前に私の家の隣のおばさんが必死で手を振っているのが一瞬見えましたが間に合いません。そのままぶつかってしまいました。
大勢の人だかりができました。私は車の下敷きになっていたのですが、自転車ごと車の下に入り込んだのです。だれかが私を引っ張りだしてくれました。
不思議なことになんの傷もありませんでした。
家で母親に服を着替えさせてもらったのを覚えています。
これも偶然が重なったといえばそれまでですが大変運のいいことでした。
その他にも、海でおぼれる寸前に助けられたり、家の裏が線路だったこともあり、自転車で線路を通り抜ける時汽車が数メートル前まで来ていたことに気づき命びろいしたこと等運のいいことが多かったように思えます。
この運もいつまで続くか分かりませんが・・・・・。

金縛りについて

金縛りは大変怖く神秘的なものに思われますが、私は科学的に解明できるものであり、あまり心配するものではないと思っています。
というのには訳があります。大学3年の時だと思いますが、金縛りというものを経験いたしました。
初めて経験した時は大変怖いものでした。朝目覚めつつある半覚醒の時でした。体が全く動かない。誰かが障子を開けて入ってこようとしているのですが、見ることが出来ません。
スーと音が聞こえてきて「殺される!」と言う怖さで一杯でしたがどうすることも出来ないのです。そうするうちに時間がたちようやく体が動くようになりました。
このことがくせになってそれからというものほとんど毎日金縛りが襲ってくるのです。本当に怖かったです。
しかしある時、体と首を瞬間的にひねると金縛りが取れることに気が付きました。それからと言うもの金縛りが来ても「えい!」と体と首をひねるといつも「金縛り」が取れるようになりました。
金縛りに恐怖感は無くなり、そのうち金縛りが起きなくなりました。
私は金縛りは自分で自分を縛っている、つまり怖さから自分で動けなくしているのではないかと思っています。
だからそんなに不思議なものではないと思っています。何度も経験した私が言っているのですから。

宗教体験について

これも50年前の学生時代のことでした。「生きることの意味」が分からなくなり、その意味を見出そうと宗教や哲学書を読み漁る時期がありました。
あるとき、友人に誘われてある宗教団体に入ったことがありました。
何でもかなえられるというものだから、その時丁度、長い間きつい痔に悩んでいたものですから何とかそれを直して欲しいと願いながらお祈りを致しました。
そうすると不思議なことに、終わってみたらうそのように直っているのです。痛みもありませんし、再発もしませんでした。
これは信じてもらえないかもしれませんが。私自信も不思議でたまりませんでした。

またこういう時もありました。お祈りが終わったあと私の腕を見ると何と金粉が体中振りかかっているのです。指でさすると、ぽろぽろ取れるのです。
そんなあほなと思われるかもしれません。これは一度だけ経験した本当に不思議なことでした。

トンビ

思い込みかもしれませんが、私には不思議な力が少しだけあるのかなと思う時があります。
今日、お客様の家に車で行った時、奥さんと主人が言うには私が訪問する前の5分前ぐらいにはその家の犬が必ず騒ぎ出すというのです。
そのおうちにお伺いする日はバラバラなのに。その犬は私が来るとすぐおしっこをもらし大変大喜びします。
家の主人はこんなに喜ぶ姿をみせるのはあなただけだといいます。こういったことが時折あるんです。

これは、ずいぶん以前から経験していることですが、空たかく飛行しているトンビに口笛を吹いたり手を振ったりするとトンビがついて来るのです。
この間、家族と一緒に畑に行った時、空高く飛んでいるトンビに声をかけ手を振りました。すぐ相手は気づきました。
近くにポイと食べ物を投げると、何と空から舞い降りてきてそれを近くで食べているではありませんか。子供も家族もびっくりしました。
こんな近くでトンビが見れるなんて。鳥にも心は通じるのかなと思いました。というよりもその時は当然通じるということに何の疑いも抱きませんでしたが。

そういえば私が子供の頃にあったことが思い出されます。いつか忘れましたが、ある野良猫が、私が朝起きるといつもボクの布団の中で寝ているのです。
正式に飼っているわけではないので、両親から捨てるように言われました。
私は嫌でしょうがなかったのですが、仕方なく段ボール箱に猫を入れ、遠くの河原まで捨てに行きました。本当につらかったです。
その頃、猫は遠くに捨てたら帰って来ないと言われてましたから。次の朝起きてもやはり帰ってきませんでした。
あきらめていると何日かあと、目が覚めると何とあの猫が布団の中にいるではありませんか。そのうれしかったことといったらありません。
それ以来、猫は犬と同じように遠くに捨てても帰ってくると確信しています。

雀の愛

私の子供の時のことです。よく雀とりをしました。自宅の庭でレンガを組み立てて、そのなかにおこめを入れておくとすずめが食べに来ます。レンガの中に入ったらすぐに遠くからひもでレンガのふたを引っ張ってふたを閉め、雀を閉じ込めるのです。

しかし、レンガが落ちた時、雀の足が折れたりして無傷でとれることはほとんどありませんでした。レンガをやめてかごに替えたり網でとったりいろんなことをしました。
一番効果のあったのは桑畑の中でした。桑畑のなかに雀の巣がたくさんありました。大きな桑畑の中を全速力で走ります。
するとまだ飛べない雀の赤ちゃんがヨチヨチしているので、それを手で片っ端から捕まえていくのです。
何回かそういうことをしているうちにあることに気が付きました。赤ちゃんを捕まえる寸前に必ず親雀が私のすぐ目の前にやってきてヨチヨチするのです。
飛べないのかなと思い親鳥をとろうとするとまたすぐ1メートル先に移動するのです。
親鳥が子供を助ける為に自分が命を張って助けようとしているのです。子供が安全に逃げられるまでそれを繰り返します。

それからも桑畑で雀とりを何度かしましたが、この雀の親の愛情をいつも見ているとかわいそうになり、ついに雀とりが出来なくなりました。
子供を思う親の愛情はいたずら好きな子供の私にも痛いほど分かったのでしょう。犠牲になった雀さん  ゴメンナサイ・・・。

神から褒められる?

これは奇跡ではありませんが、救われたことがあります。会社で昇進できるかどうかという時、上司に連れられて店長の所へ行ったことがあります。どうも、頭を下げて頼めば昇進が決まっていたようです。直属の上司にそこで「昇進よろしくお願いします」と言いなさいと言われた。
しかし、言えなかった。私は昇進についてこちらからお願いすることではないと思っていたからです。
何度も督促されたが、最後まで言えなかった。帰りの車の中で、上司に「お前は本当に馬鹿だなーと」言われたことを覚えています。
しかし、その夜私は床に付くとものすごい感激にひたった。
涙が出るほどだった。よくやったと神から褒められた気がした。自分の考えに誤りはないと確信した。
これによって、昇進は何年も遅れました。そうしたマイナスよりプラスの方が人生にとってどれだけ大きかったことか。
他にも、命令に背いたことがありますが、自分のやったことに間違いはないと思っていますし、後で検証も出来ました。
それ以来、長い間、店長は、私に一言もしゃべりかけもしなかった。
私の場合、これにより会社を首になるという最悪の事態は避けられましたが。

こういった危機の時、右が左かという決断を迫られる時、妙に私は助けられている感じがします。普段はあまり感じないのですが、こういう時だけある力に導かれているような気がするのです。