投票はAかBしか選択できません。当たり前と言えば当たり前。
選択肢にAとBの他に「分からない」を堂々と追加してほしい。
その方が実体がよく分かるのでは。
それでは投票の意味がないではないかと言われそうですが。
というのも、「住民投票」で大阪都構想の是非を問うようなケースでは、「分からない」と主張する選択肢もあるのでは思ったからです。
分からないのに、住民にどちらかを選択しろというのはちょっと酷な気がする。
それとも、分からない人は投票場に行くなということなのか?
「分からなかったら勉強しろ!」では、先生や学者さんが生徒さんに叱るようなものです。
住民全部がそんなに勉強しないといけないのか?
勉強したら、どちらかが選択できるようになるのか?
分からないままでも、適当に選択しないといけないのか?
そうなら、結果も当てにならないのでは。単なる気分で投票していいの?
選択できるようになるまで勉強しろというのですか?
そんなこと言ったら、政治家なんて不要じゃないの?
私なんか、あっちがこういえばそうかなと思い、こっちがそういえばそうかなと思ったりして、一体どっちが正しいんやと思うことがある。
検証する力も持っていないし。
専門家同士でも意見が分かれている。そのようなことをどれだけの人が正しく判断できるのだろうか?
分からんもんは分からんでいいのと違いますか?
あることで実際に問題を体験した方は、それを参考に判断するかもしれないが、全体まで見ておられるかどうか。
家を建てる時、2000万円かかると計画しても、実際には計画より一割程度追加費用がかかることが多いもの。
そんなの分かる? 実際に行政に携わっていないものが。
そもそも、住民投票に適した事項だったのだろうか??
それなら、戦争するかしないかの事前の国民投票があってもいいもんです。あり得ないでしょうけど。
何故、「分からない」が正々堂々と主張できないのだろうか。
複雑化した社会。というより、無理に複雑化させてしまうことで混乱が生じる。
賢い人ほど、細分化して、複雑を好みがち。まとめることをしない。
Aでもなく、Bでもないところに真実が隠されていることがよくある。
AかBかというはっきり分断した西洋的な考え方より、AでもあるようなBでもあるような感じの東洋的なあいまいな発想の方がまだ真実に近い気がします。