イエスは言われた。
「光はいましばらくあなた方の間にある。」
「いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。」
<ヨハネの福音書抜粋>
見えるイエスとして示されながら、私達に見えていない「命」として語られている。
今迄長い間見ることも聞くこともできなかった命の声を聞いている。
私達を内から照らしている「光」として語られている。
光は命です。肉の目からは見えない。見えない者のために、見えるものとして遣わされた。
光はこの世に、しばらくの間、留まりますが、しばらくすると、去っていく。
神から生まれたものは、神のもとに返るが、塵から生まれたものは、塵に返る。
神は、死んだ者(塵にすぎないもの)にも、しばらくの間だけ命を与えられる。
現れたイエスを見て、隠された真理を見る。
客観として見るのではなく、自分自身を見る。
イエスが語られていることは全て、私達の内において語られている。
すべての人が、聞いている。その言葉は霊であり、命だからです。
だが、聞いているが、聞こえない。見ていても見えない。これが闇です。
光はいつも照らしています。ただ、この世では、しばらくしか留まらない。
闇は、光を受け入れない。これは、この世では、「イエスを殺す」として現わされる。
自分の家に住む者は、そこにいつまでも留まれない。父の家にいる者は、いつもそこにいる。
見えるものを見て、見えない命を見ることの大切さを痛感します。
しばらくの命に永遠の命が隠されています。
もし、光がなければ、この世を見ることすらできない。
しばらく光があるうちに、光の方へ歩むべきです。闇に追い越されないうちに。