知識と理解


蟻には蟻の世界(場)がある。
人は蟻について勉強をして知識を増やすことはできても、蟻の気持ちまでは分からない。
つまり、知識には限界がある。少し知っていても、理解したというのにはほど遠い。
蟻のことを本当に知るには、蟻になる以外ないんです。
しかし、蟻になったら、蟻のことしか分からなくなる。人でなくなるから。

領域(場)というのがある。そして、その領域ごとに常識(当たり前)が異なる。
これは、蟻や動物だけでなく、厳密には、人同士にもあります。
私はあなたを完全に理解することはできない。何故なら、私はあなたではないからです。
あなたを勉強して少しづつ知ることはできますが、理解するまでには至れない。
知識とはそういうもの。限界を知っていることが大事。
私は私自身についてもよく知らない。なのに、どうして他を知ることができようか。

客観は客観。当体ではない。傍観者です。知識は客観。深い溝があります。
知識で全て理解できると思ったら、それは、傲慢です。
知識が細かく増えたとしても同じ。究極には至れない。限りがない。
知識の限界を理解しながら、知識を活用することが大事です。
知識は生活上役に立ちます。ただ、それを真理にまで格上げするようなものではないんです。
知識というのは元々、あいまいなもの、概念、おおむねなんです。それ以上ではない。

★あいまいなものの裏に隠されているものにこそ、宝石(真理)がある。
★知らないということを知ることが大事。謙虚になれる。
★「私はあなたではない」。しかし、真理においては、私とあなたは一つです。