法律が一番大事なの?

法律について普段思っている疑問を、とりとめもなく書いてみた。雑書きです。
法律に詳しくない私が書いているので、認識相違も多いし、まとまりもないです。
疑問をダラダラと書いただけで、具体的な解決方法には、一切触れておりません。


法律が一番大事だと思っているのは、勉強のできる知識人に多いようです。
困ったことに、法律に詳しい人ほど、その抜け道もよく知っておられる。非常に巧妙です。
表(おもて)では法に触れると知っているので、誰も知らない裏で悪事を働く人もおられる。
知識人の中には、善い悪いを法律を基準に考える方が結構おられます。
逆に言うと、法に触れなければ、何でもありのような方が見受けられる。
「法律を守っています」と主張する人に限って、どうも胡散臭い気がしてならない。
法律を知っていようが知らまいが、悪い人は悪いことをします。
知識人は知識で勝とうとします。知識の少ない私には、ここがどうしても理解できない。
知識だけで言えば、知識のある人が、知識のない人に勝つのは当たり前です。
ただ、知識で勝ったものが正しいとは限らない。していることが正しい方が正しい。

私は知識人ではないので、法律のことは詳しくないし、一番大事だとも感じていない。
どこでも法律を持ち出してくる人というのは、疎まれやすい気がします。
「自治会に入りませんか」と言うと、「法律で入れと決まっているのか」と叱られたりする。確かに自由なんですが、法律に書いてないと何もする必要がないというのも困ったものです。
法律的には、悪いことさえしなければ、後は自由なんです。ただし、権利の濫用とか公共の福祉に反することは許されないと明記されています。自由にも制限がある。
自由とか権利を明文化しようとしたら、大まかにはこうなるでしょう。細かいところは微妙だから明文化できないので。
言論の自由を武器にマスコミやSNSの発信力が大きくなってきており、マスコミ受けする限られた知識人が偏った情報を流す機会を得ている。
ものすごい影響力です。扇動的、分断的な意見も多い。多いように見えるが、実は一部。少なくても多いような錯覚が生じてしまうから恐い。

法律は平時の時のものと私は思っています。余裕があるから機能していると。
戦争のような危機になると、現行の法律なんか、邪魔になって無視されるでしょうし。
戦争時に戦争反対とか言うと、非国民と呼ばれて処罰されるだけ。
戦争は国が発動するので、その時点では、まだ、国の権力は残っています。
最も恐いのは、国に対する信用がなくなった時。何の統率も効かず、無秩序と混乱しかない。
混乱時には、カリスマ的な英雄を求める機運が生じる。だから、出てくるんです。

天皇制は、日本の秩序を保つ上で、長い歴史において、非常に役に立っていたと思います。今となっては過去のものですが。
それにとって代わる信頼すべきものが現在ないんです。国民主権になったから。
個人個人はまとまりにくいんです。一人一人が天皇のようになってしまうので。

今、一生懸命、憲法改正と叫ばれていますが、まだ平和であることの証です。
最悪の危機には、憲法も法律も役に立ちません。自分で自分を守る以外ない。
例えば、地震とか津波が起きたら、信号の赤とか青とか関係なくなる。
逃げるのが必至で、赤でも渡らないといけない時があり、青でも止まらなければいけない時もある。その時の状況で判断する以外ないんです。
赤や青より命が大事だからです。当たり前ですが。
ギリギリの状態においては、法律が一番じゃなくなるんです。
法律が一番だと思っていると、大怪我をします。決め事や勉強やお遊びも余裕があってのことなんです。余裕がなくなった時こそ、その人の力が試される。本性が暴かれる。
一番大事なのは命です。これは平時でも同じです。青信号で渡っていても、突っ込んでくる車もあります。ルールは大事ですが、一番ではない。想定外は頻繁に起きます。

自由や人権が法律で定められている?
そんな馬鹿な。
自由を主張して不自由になり、権利を主張して権利が蹂躙される。自由と権利が対立しているではないですか。
これは、自明なことです。
自由や権利とか美しい言葉を使っている人ほど、その言葉に陶酔している気がします。
自由や権利を勝手に与えてくれるなと思う。権利に胡坐をかいている。
与えると、それを主張して攻撃する人が増えてくる。戦う武器を持つ戦士になってしまう。
個人主義は聞こえはいいが、矛盾に満ちている。それが今表面化している。
自由と権利が、世界を分断している。そのように思えてならない。
人は本質的に、ルールに規制されない自由さを持っている。これは知識では及ばない。

〇〇ハラとか、細かく定められてくると、何をどうしていいのか混乱します。
相手と恐くてしゃべれなくなってしまう。自由がなくなってしまう。
しかし、〇〇ハラの内容を細かく知らないと、お前は常識がないと言われる。
しかし、実際のところ知らない人の方が多いのでは。
つまり、常識のない人の方が多い。常識のない人の方が多いのなら、そっちが常識ではないのでしょうか。
決めたことで、自分の首を縛っている。良かれと思って決めたことが自分に跳ね返ってくる。
自分で考えるのが面倒なので、顧問弁護士に頼ってしまう。だから、弁護士ばかり増える。
問題が起きるたびに法律が増えてくる。もはや専門家以外誰も知るものはいない。
専門家じゃないと判断できないという現状っておかしくないですか?これも分業なの?
それとも、国民にもっと勉強しろということですか。主権者の義務なんですか?

仲直りできるようなことでも、弁護士を付けると、仲直りできなくなることが多い。
法律上の和解が成立したとしても、仲直りは難しい。
仲直りを優先して、互いに傷つけあうことは、避けた方がいいと思います。
裁判で勝ったものが正しく、負けたものが悪いとされますが、これも本当のところは曖昧です。白黒を決められないところがある。
強い弁護士がつくと勝ち、弱い弁護士だと負ける、こんなこと本当にあるのですか? お金次第で判決って変わるんですか?

法律が定められると、それに従わないといけない。
ところが、その法律を知っている人は知識人。たくさん法律がありすぎます。
罰せられて初めて、その法律に気付く人もあるでしょう。
法は国の権力のよって定められるもの。私個人が賛成したものではない。
これには反論が多いと思いますが、実際にはそう。
国に属したら、否応なしに守らないといけない。それが法治国家。
ものごとの正当性は法律によって担保されるのが今の社会です。
悪賢い人は秘書とか裏の人に悪いことをさせて、自分は直接手を出さないようにします。
まあ、普通に行動していれば、法律に反することはそんなにないとは思いますが。
国が権力を保てるのは、主権者である国民が国に対する信頼があってのことです。
肝心の国民同士が言い争っている状況では、それを反映して、国の方向も定まりにくくなってしまいます。中途半端で場当たり的にならざるを得ない。

共同体の最小単位は家族です。
家族内では、特別なルールはない。絆が深いので、特に必要ないんです。
家族よりも大きな共同体が生まれるのは、その方が家族の利益と安全が守られるからです。
そのためにルールが定められる。年貢も納めないといけない。
国にいて、利益と安全が守られなければ、その国に属している意味も無くなるんです。
ひどくなると、自分の家族を守るだけで精一杯という事態も起き得ます。
とは言え、自分の家族が大事だという原点に戻っただけのことなんですが。
国がいつも守ってくれるというような甘い幻想をいつまでも抱かないことです。
多くの制度がつくられていますが、人のつくったものは壊れる時が来るんです。
その時、あなたならどうしますか?