愛の不思議

一番大事なことは、愛するということ。
一番難しいことは、愛するということ。
根本に愛がないと、考え方や思想などの枝葉末節で対立する。

最初の一打は、いつも愛から起きている。

例えば、赤ん坊はお乳を求め、母親はお乳を与えます。
これは、考える以前に起きています。考える前、知識以前に知っている。
愛を受けるものと愛を与えるものとに分かれているように見えますが、どちらが下でどちらが上というものでない。
与えて喜び、受けて喜ぶからです。区別できないものがあります。
こういったものを見て、ふと気づく。振り返って自分を見てしまう。
人は見たもので自分を見るからです。

ふと気づく時というのは、一瞬ですが、肉体意識が薄れているような場合が多い。
若干霊的になっているというか、肉体が眠っているというか、そのような時が時折ある。
確かに肉の目を通して見たのですが、何故か肉でないようなものを見せられてしまうということがあります。
最初の一打は、大変不思議なものです。
自分の力の及ばないものがあると感じてしまうからです。
ところが、この一打は一瞬だけで、直ぐに一般的な知性や理屈に取って代わられます。
それ以降は、自分の頭、自分の力でもって見ている。肉の感覚で見ている。
自己が働くと、不思議さが一気に失せてしまいます。
もはや、不思議な力の存在が意識上に上がってこない。「当たり前」に置き換わってしまう。
本能とか法則に置き換えて、解決したものとなる。
たとえ不思議と思っても、いづれ人の力で解決できうるものと信じ、それ以上追求しません。
自分の力を超えたものを見ても、自分で解決できると信じることで、それを打ち消してしまうのです。

いいか悪いか、頭で考える前に、本当は知っている。
頭で考える以前に、既に知っている。
ところが、知っているはずなのに、知っていることを知らない。
頭で考える以前に、「諾か否」かを判定する力が働いている。
しかし、自分が働いた瞬間、「諾か否」は自分の意思で決めるものとなってしまう。

最初の一打を保ちつつ、意識上においても現わしたいと思うのですが、
これが、とても難しい。
真に愛することはとても難しい。不可能に近いものがあります。
考える以前、理屈以前に戻らないといけないからです。
自分を大事にすればするほど、愛から離れていき、分断を招く。
悪いものはすべて、「自分」の心から出てくるからです。